さんじょうさん |
三上山 |
参考地図 (フレーム順:西〜東南) |
〜林道 P165〜舗道〜竹林〜墓の谷池〜十輪寺〜棚倉駅 |
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〜海住山寺裏〜舗道〜冒険の道〜山頂〜かいがけの道〜P294〜ミラー〜林道〜 |
〜山城国分寺跡〜公民館〜海住山寺〜 |
駅〜船屋通り〜恭仁(クニ)大橋〜国分寺跡(恭仁宮跡)〜 |
地理院地図・電子国土Web Scale 100m |
付属資料 |
<船屋(ふなや)木津川市加茂町>
船屋地区は江戸時代、伊賀街道の宿場町(加茂宿と呼ばれる)や、信楽街道の分岐点としての 役割を果たし、非常に賑わった。また木津川筋六力浜のひとつの加茂浜もここにあり、木津川 舟運によっても栄えた。 この浜は藤堂藩領の西北端に位置し、藩にとってもまた重要な地であった。1648年(慶安元年) には既に宿場として機能していたことが分かっている。しかし元禄期のたびたびの火災、水害 の発生、さらには1712年(正徳2年)の大洪水により、大きな打撃を被った。そのため本村を 移転せざるを得なくなった。その際、移転する人々と行動を共にせず、居残った人々がいた。 彼らは舟運に携わっていたため、浜を離れるわけにはいかなかったのである。これらの人々と 兎並・北村の両村民により、船屋地区は復興し、以前のように宿場町としても再生した。 また、大洪水により破損した伊賀街道を修復する関係で、船屋地区でも浜へ出る地点で直角に 折れて東進する東西の道が整備された。これが、現在もその姿を残しているL字型の街並みの 成り立ちである。 船屋地区の復興は順調に進み、このころ「船屋」という名前が単に舟運の職業やその集団を指 すだけでなく、地名としても確立されていった。また賀茂の字を加茂に改めたのもこの頃である。 江戸時代が終わり、1897年(明治30年)の加茂駅の開業と1901年(明治34年)恭仁大橋の架設が、 舟運から陸上交通へとその機能を転換するきっかけとなった。1965年(昭和40年)頃になると、 家や商店の街並みが現れ始め、船屋は加茂地方随一の市街地として発達した。 Wikipedia 抜粋 <恭仁宮跡(くにのみやあと)・山城国分寺跡> 今からおよそ1300年前、木津川右岸 瓶原(みかのはら)(木津川市加茂町)に恭仁宮が造られ、 わが国の首都となりました。往時の数々の遺構はロマンに溢れ、歴史の中心舞台であった事が しのばれます。天平12年(740)10月、聖武天皇は平城京を離れ、伊賀、伊勢、美濃、近江などを 行幸して、同年12月、恭仁宮に入り遷都を宣言しました。その後、天平16年(744)2月に難波宮 への遷都が行われ、翌天平17年(745)5月には再び平城の地へ都が戻りました。 恭仁京の都としての期間は足掛け5年と短いものでしたが、その間、天平13年(741)には国分寺・ 国分尼寺建立の詔、天平15年(743)には大仏造立の詔、墾田永年私財法の発布があり、歴史上 極めて重要な時期であったといえます。 昭和32年(1957)7月に国の史跡に指定され、平成19年(2007)2月には史跡名称が「恭仁宮跡(山 城国分寺跡)」となり宮跡全体が守られています。現在は、大極殿(金堂)礎石と七重塔礎石が 残り、恭仁宮跡周辺では晩夏から秋にかけて、蕎麦の花、彼岸花、コスモスが見頃となります。 ↑↓(木津川市観光協会HP抜粋) <海住山寺(かいじゅうせんじ)> 創建は天平7年(735年)聖武天皇が大仏造立平安祈願の為、良弁僧正に命じて建立させ十一面 観音菩薩を安置したのが始まりと言われましたが、この寺は保延三年(1137年)に焼失しました。 その後、承元二年(1208年)笠置寺にいた解脱上人貞慶がこの観音寺の廃址に移り住み、草庵を いとなんで補陀洛山海住山寺と名づけ中興されました。この後を継いだ慈心上人覚真は先師の 遺志をうけていよいよ戒律を厳しくし、寺観の整備に力をつくしました。 現存の五重塔(国宝)は、建保2年(1214年)慈心上人によって建てられたもので、心柱が初層で 止められている点は建築史上有名です。のち、寺門は大いに栄えて塔頭58ヶ坊をかぞえた時期 もありましたが、天正年間には現本堂を中心に整備統一されました。昭和38年(1962)の解体修 理にあたり、五重塔初重の軒下に裳階が復元された。 屋外にある木造五重塔で国宝・重要文化財に指定されているものとしては、室生寺五重塔に 次いで日本で二番目に小さい。この塔の特徴は初層の屋根の下に裳階(もこし)と呼ぶ庇を設け る点である。裳階をもつ五重塔としては法隆寺五重塔の例があるが、現存する平安 - 鎌倉時代 の五重塔では海住山寺塔のみである。裳階には壁を造らず開放とする。塔身の初重内部には 四天柱(仏壇周囲の4本の柱)はあるが、心柱はなく、心柱は初層天井の上から立っている。 <三角点情報> *三上山: 473.1m 三等△ 点名(三上山) 34°47′13″N、 135°51′38″E *P207.5m; 四△ 点名(鳴子谷) 34°46′53″N、 135°50′29″E (国土地理院) |
<調査歩行 20/12/12>
船屋通り /rollover 木津川(恭仁大橋より) |
国分寺跡(恭仁宮跡) |
海住山寺 /rollover 国宝の五重塔 |
山城森林公園内の”冒険の道”に取り付く |
山頂三角点 473.1m (展望台の下にある) |
下山路は”かいがけの道”と少し離れた”長寿の道”がある |
”かいがけの道”から林道・今ガ谷線の分岐を下る |
JR棚倉駅 /rollover 湧出宮(ワキデノミヤ)は駅前 |
Hi-Trek tan-u Hi-Trek tan-u ハイトレック淡悠 Hi-Trek tan-u Hi-Trek tan-u