高御位山


参考地図 (フレーム順:西〜東)

鹿嶋神社・登山口〜百間岩〜鷹ノ巣山〜桶居山分岐〜鞍部〜高御位山〜 

 

〜高御位山〜参道・高御位神宮〜成井登山口BS

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

 

付属資料

<高御位山・たかみくらやま>
播磨平野の加古川下流域では高い山が少なく、標高304メートルの高御位山が加古川市
高砂市の最高峰であり、播磨富士とも呼ばれる。なお高御位山には三角点も置かれて
いるが、三角点の標高は299.7メートルである。頂上では断崖の岩場がせり出し、播磨
平野や瀬戸内海を一望でき、条件が良ければ明石海峡大橋、関西国際空港、六甲山など
も望める。このため、播州地域では初日の出スポットとして知られる。

1921年(大正10年)、この岩場から地元出身の飛行士である渡辺信二が自ら創作したグラ
イダーで飛び立ち、山頂には彼を称えた飛翔の碑がある。

高御位山頂上には岩場を磐座としていた高御位神社があり、高御位の名前も神座、磐座
から転じたと考えられている。神社由緒によると、欽明天皇10年に創立し、昭和58年4月
に火災焼失後、同年12月に再建されている。大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命
(すくなひこなのみこと)が祭神で、天津神の命を受け、国造りのために大己貴命と
少彦名命が降臨した所とされている。 高御位山の近くには、小高御位山もある。

Wikipedia 抜粋
<高御位神宮>
縁起・神話:
 人類が地球に誕生したとされる今からおおよそ650万年前、金星から飛来した隕石が空中
で3つに分かれ 紀州の熊野、京都の鞍馬、そして播州の高御位に落ちたといわれています。
その隕石を金星から飛来したので金神とし祀ったといわれています。

由来:
 人皇第五代・孝昭天皇は即位後、天津神祗伯(アマツシンギハク--天津は空から降った神々
それらを祭る古神道の長)で第四代天中押別命に命じ、皇始祖・天之御中主天皇の磐座(イワ
クラ--神が降臨する場所)がある高御位山に行かせ、ここに鬼門八神(天照大神・月夜見神・
素盞鳴神・大国主神・豊受姫神・埴山姫神・岩裂神・根裂神)をまつらせたことが始まりです。

播州高御位山には、太古より神の宿る霊山として信仰をあつめています。その高御位山の
麓にある高御位神宮は、熊野修験道本庁として神仏をお祀りしています。 当神宮は信者
により運営されております。
熊野修験道本庁HP抜粋
<鹿嶋神社>
遠く聖武天皇の勅願によって、播磨の国、国分寺の東院として大日寺が建立された時その
鎮護の神として奉祀された。

一願成就・合格祈願の神として信仰されている。拝殿で参り、本殿裏を回って竹の棒を置く、
これを年の数だけ繰り返す願掛が行われる。神社ではあるが、香を焚き灯明をあげる風習が
ある。 参道の両脇には名物のかしわもちの店が並んでいる。平成10年にチタンの大鳥居が
造られた。

社伝によれば奈良時代に播磨国の国分寺が創建された折、その鎮守社として創建されたのに
始まるとされる。 1578年(天正6年)に羽柴秀吉が神吉城を攻めるときに、神社周辺でも戦
いがあったが、神殿は残ったといわれている。 江戸時代に、地徳地区を開発するにあたって
神社の復活が計画され、寛文年間に姫路藩の松平直矩によって現在の祭神で復活した。
元禄時代には本多忠国から境内拡張地を提供し、姫路藩によって崇敬されてきた。
Wikipedia 抜粋

<三角点情報>
*高御位山: 299.7m 三等△ 点名(高御位) 34°48′47″N、 134°47′34″E  

*P264.0m; 四△ 点名(地徳) 34°48′55″N、 134°46′32″E  
(国土地理院)

 

<調査歩行 20/11/28>

田畑を半円形に囲む岩陵(右端が高御位山 304m)

西端の中所(ナカジョ)登山口から周回 (例会時は鹿島神社口から登る)

大平山〜地徳山を経て鞍部の展望台/rollover 百間岩を上る

鷹ノ巣山三角点? 264m

山頂は高御位神社・奉賛会の碑など多々/ 岩尾根トップ

山頂から岩山の横大路山(小高御位)を越えて鉄塔分岐

分岐から西へ下り、北山登山口に下山

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