青龍山 |
参考地図 (フレーム順:北〜南) |
多賀大社前駅〜ビール工場横〜飯盛木〜SA下〜 −役場〜多賀大社〜延命地蔵〜駅 |
〜胡宮神社〜青龍山〜P223(例会時不達) 〜青龍山・東山麓〜R307/D51残骸−役場 |
古墳公園〜高源寺〜大滝神社・大蛇の淵〜西琳寺(例会時不達) |
地理院地図・電子国土Web Scale 100m |
付属資料 |
<多賀町(たがちょう)>
滋賀県犬上郡に属す。 古代から近世にかけて犬上君(犬上氏)および多賀氏が勢力範囲或 いは本拠としてきた地域であり、古今を通じイザナギ・イザナミの2大神を祀る多賀大社を中 核として発展してきた。 *地理的には多賀町の標高は東に高く、西に低い。東部は南北に走る鈴鹿山脈の西麓に当り 東麓側にある三重県いなべ市および、岐阜県大垣市と県境を接する。主な山としては霊仙山や 三国岳などがある。町西部は湖東平野の一部をなしており、町の行政・産業の中心地でもある。 WikipediaExtraced. <三角点情報> *青龍山 ; 三等三角点、青竜山(点名)、標高 333.3m、N35-12-40 E136-17-31 (青龍とは中国の神話では東方の守護神。南が朱雀、西が白虎、北が玄武) *丸山 ; 四等三角点、敏満寺(点名)、標高 224.3m、N35-12-6 E136-17-22 国土地理院 <多賀大社(たがたいしゃ)> 「お伊勢お多賀の子でござる」とうたわれるように、伊勢神宮の親神として知られる伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の2柱を祭神としている。古事記にも 記録が残る。また、数多くの文化財や伝承を残す。 *太閤橋(たいこうばし) 太閤秀吉が寄進した米一万石により築造。祭礼の折、神輿が渡る。 高くなっているのは、表通 りから拝殿が見えないように目隠しのためである。 <胡宮神社(このみやじんじゃ)> ビダツ 敏達天皇(572-585年)の勅願とも言われ多賀二座の一と伝わる。古くは青龍山頂の「磐座」崇拝 に起源をなしており、鎌倉時代には、天台宗敏満寺の鎮護の神として栄えた。48伽藍120坊の 規模があり、浅井長政・織田信長の焼き討ちにあい衰退したが、1638年徳川家光により造営され 復興を遂げた。三軒社流造りの県指定文化財。 山腹には無数の石仏谷(国指定文化財)があり、 それを下ると広大な宿坊舎跡が確認される。 *磐座(いわくら) 青龍山の山頂に磐座があり、山全体が神様という神体山である。磐座(磐境)は、奥宮の事。 *石造聖観音立像(せきぞうせいかんのんりゅうぞう) 境内の観音堂(三間四面の本堂は屋根が二段の瓦葺入母屋造)にある本尊は床下から突出し ている自然石がそのまま彫られた高さ1.86m。この聖観音像は「聖徳太子が諸国巡回の時、ここ で奇石をご覧になり、石造の聖観音を自作された」という言い伝えがある。 <大瀧神社(おおたきじんじゃ)> 社殿は寛永15年(1638)徳川三代将軍家光公の下知により、当時多賀大社、胡宮神社と共に造 営された。古来、多賀大社の末社、あるいは奥宮として考えられている。 *大蛇ヶ淵(だいじゃがふち)(景勝の地)大瀧神社周辺 滝の宮とも言われる通り、神社に面する犬上川の清流は約10mもの落差を流れ落ちながら、 奇岩怪岩の間をうねっています。「大蛇ヶ淵」と呼ばれる景勝の地でもあります。 <高源寺(こうげんじ)> 鎌倉時代に創建された寺で、もとは天台宗に属し、十福寺と呼んでいた。 近江源氏・佐々木氏 の四天王の一人として活躍した楢崎氏の菩提寺として当院が創建されたたものと推定される。 当院には、井伊直弼を助けた「村山たか女」の肖像画がある。村山たか女は、多賀大社の近く の生まれで、多賀大社境内にあった般若院に出入りをしていた頃に 井伊直弼と当院で出会っ たと言われている。 (多賀町観光協会HP抜粋) |
<12.21例会・スナップ>
近江鉄道・大社前駅 |
樹齢300年のケヤキ(飯盛木) |
胡宮神社・拝殿 |
胡宮神社・岩座 |
青龍山 三角点333.3m |
デコイチ(D51999号) |
多賀大社・神門 |
多賀大社・太鼓橋(太閤橋) /rollover |
延命地蔵 |
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