清水山・稲荷山

  

参考地図 (フレーム順:北〜南)

駅−八坂神社−円山公園−知恩院鐘楼〜東山山頂公園〜

〜山頂公園〜清水山△〜国道下〜阿弥陀ケ峰分岐⇔阿弥陀ケ峰

〜円通寺橋−今熊野観音寺−泉涌寺−トレイル標識#4−

〜急坂〜四つ辻⇔稲荷山−伏見稲荷大社−京阪伏見稲荷駅

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

 

参考情報

<<八坂神社・やさかじんじゃ>                   Wikipedia Ext.

東山区祇園町北側にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社
本庁の別表神社。全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社
であると主張している。通称は祇園さんや八坂さんとも呼ばれる。祇園祭(祇園会)の胴元と
しても知られる。

社名は、元の祭神であった牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていたことから、元々
「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、明治元年(1868)の神仏
分離令により「八坂神社」と改名された。 
創祀は、諸説あるが社伝では斉明天皇2年(656)と伝えられ平安遷都がなされた延暦13(794)
以前よりこの地に祀られていたとされる。また、貞観11年(869)疫病流行の際、当社の神に
お祈りして始まったのが祇園祭である。

平安時代には二十二社の一社に数えられ、朝廷からも厚く崇敬された。一方、民衆の信仰も
深く京都はもとより全国に広く崇敬されるようになった。 正月三が日の初詣の参拝者数は
近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社
に次ぐ2位となっている。また東西南北四方から人の出入りが可能なため、楼門が閉じられる
ことはなく伏見稲荷大社と同じように夜間でも参拝することが出来る。


<今熊野観音寺・いまくまのかんのんじ>              
Wikipedia Ext.

東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の寺院。総本山泉涌寺の塔頭。山号は新那智山。
本尊は十一面観音。正式な寺号は観音寺だが「今熊野」の通称で知られる。西国三十三所
第15番札所。洛陽三十三所観音霊場第19番札所。
空海が唐で真言密教を学んで帰国した翌年にあたる大同2年(807年)、東山から光が出ている
のを見つけた空海は、不思議に思って当地にやってきたところ、老人の姿をした熊野権現が
現れた。熊野権現は空海に天照大神御作の一寸八分の十一面観音菩薩像を手渡してこの地に
一宇を建ててこの観音菩薩を祀り、衆生を救済するようにと言った。

そこで空海は自ら一尺八寸の十一面観音菩薩像を刻み、授かった一寸八分の像をその体内仏
として中に納め、熊野権現の言うようにこの地に一宇を建てて奉安した。これが当寺の始ま
りであるとされる。 弘仁3年(812年)には嵯峨天皇からも支援を受けて諸堂を造営し、天長
年間(824年 - 833年)に完成したとされる。さらに左大臣藤原緒嗣の発願によって広大な寺域
に伽藍の造営が図られると、緒嗣亡き後もその子藤原春津によって緒嗣の菩提を弔うための
事業として続けられ、斉衡2年(855年)に法輪寺として完成を見た。

平安時代後期になると、紀伊国熊野の熊野三山に対してこの地を今熊野と称し、白河法皇の
時代には今熊野修験の中心地として栄え、寺名も東山観音寺と呼ばれるようになる。 後白河
上皇は熱心な熊野三山の信者であったが、紀伊国熊野の地は遠く気軽には参詣できない為に
今熊野と呼ばれていた当地一帯に目を付け、永暦元年(1160年)に当地に新たに熊野権現を勧
請し、当山の本尊をその本地仏として定めたうえで「新那智山」の山号を授けて東山観音寺
を観音寺に改め、山麓に新熊野神社をも造営した。

南北朝時代の騒乱や応仁の乱などで境内は荒廃したがその都度復興し、天正8年(1580年)には
本格的に復興がなされている。現在の本堂は正徳2年(1712年)に、宗恕祖元によって建立され
たもので元々は奥の院の順礼堂が建っていた。

後白河上皇は持病である頭痛を当山の観音菩薩によって治してもらった。この出来事以来、
一般の人々からも頭痛封じの観音様として尊崇されるようになった。 境内には、西国三十三
所観音霊場の各本尊を石仏とし安置し、巡拝ができる「今熊野西国霊場」がある。




<伏見稲荷大社・ふしみいなりたいしゃ>        
京都市観光協会京都Navi

ご鎮座は和銅4年(711)2月初午の日とされ、全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮。
同社は古来「衣食住の大祖にして、万民農楽の神霊なり」と篤く信仰されており、中世から
近世にかけては商売繁盛・家内安全の神としてご神徳も広く伝播されています。
本殿(重要文化財)は明応8年(1499)に再興し、権殿のほか摂末社も重要文化財。
稲荷山の神蹟を巡拝する‘お山めぐり’は約4キロ、参道に建立された数千本の鳥居は壮観。

2月初午の日はご鎮座ゆかりの日として古来より、民衆が群参する。4月20日に近い日曜日
(神幸祭)から5月3日(還幸祭)は「稲荷祭」。平安時代に始まり同社最大の祭典。5基の神輿が、
南区西九条のお旅所に渡御し、還幸祭に京都駅周辺〜松原通まで拡がる氏子区域を巡幸して
還御する。この神輿は全国でも優美華麗で、且つ重いものとして知られる。
11月8日は「火焚祭」で、秋の収穫のあと、春に迎えた穀霊を再び山に送る神事。十数万本
の火焚串を火床で焚き上げ、神恩に奉謝すると共に万福招来・罪障消滅などを祈願。


■本殿
伏見稲荷大社の本殿は国の重要文化財建造物。明応8年再興。神社建築としては大型に属し、
本殿の棟から前拝への屋根が極めて長い「流造り」と呼ばれる様式である。内拝殿正面の
向拝は、元禄期に本殿に付け足されたものであるが、昭和36年本殿前に、内拝殿が建造さ
れたのに伴いこれに付設した。軒下には桃山期の豪華な彫刻が施されている。

■眷属像(けんぞくぞう)
全国の稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社には、稲荷大神の神使であるきつねの眷属像
が数多く見られる。

■御茶屋
伏見稲荷大社にある御茶屋は、国の重要文化財建造物。創建は詳らかでないが、御所にあ
った古御殿のひとつで、寛永18年(1641)に、当時、院の非蔵人として仕えていた当社祠官
羽倉延次が、後水尾院より賜ったものである。七畳の主室は、床、付書院、違棚を設けた
書院造りであるが床柱や漆塗りの框などには数寄屋風の意匠がうかがえる。(非公開)

《お山めぐり》
伏見稲荷大社の本殿背後、稲荷山は稲荷大神の降臨地で、その峰々を巡拝するのがお山め
ぐり。お山には多くの祠やお塚がある。お山参道には朱塗りの鳥居がトンネルのように建
ち並ぶ。お山一周4q、約2時間。


<三角点情報>
                              国土地理院

:*清水山 242.2/三等三角点、 点名(清水山) 34°59' 35 ″N 135°47′19″E
                                           
以上

 

<調査歩行 23/12/9>

南座 (吉例顔見世興行・市川團十郎で賑わう)
八坂の塔 (周囲は観光客で賑わう)
知恩院鐘楼 (この脇から山径に入る)
清水山・三角点 242.2
国道を潜り、阿弥陀ケ峰の分岐を越えて住宅街に降りる (標識トレイル#11)
剣神社は円通寺橋の側 (標識トレイル#9-1)
今熊野観音寺 (西国三十三所霊場・第十五番札所)
清滝社からは山科参道 (標識トレイル#4から東周り)
山頂へは直登の鳥居 (右回り)
稲荷山 233m
伏見稲荷大社

 

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