嵐山・松尾山

 

参考地図 (フレーム順:北〜南)

⇔嵐山 P382⇔烏ケ岳 P398〜

〜分岐〜松尾山⇔嵐山 P382⇔     〜下山路分岐〜法輪寺−嵐山駅

松尾大社駅−西芳寺前〜登山口〜急坂〜

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

(参考情報)

<松尾大社・まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ>               Wikipedia 抜粋

京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での
祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみ
きとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎
され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)と共に「東の厳神、西の
猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、
現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。

境内は、神体の松尾山の麓に位置する。本殿は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない
両流造であり国の重要文化財に指定されている。また多くの神像を有することでも知られ、
男神像2躯・女神像1躯の計3躯が国の重要文化財に、ほか16躯が京都府指定有形文化財に
指定されている。そのほか、神使を亀と鯉とすることでも知られている。

<嵐山 あらしやま>

京都市西部にある標高382mの山。また、大堰川(おおいがわ)を挟んで西側の松尾山・嵐山・
鳥ヶ岳の
嵐山三山と、東側の小倉山・亀山、さらにはその麓を含んだ地域を一般的に嵐山と
称し、山麓は多数の寺社が立地する観光名所で、桜や紅葉の名所である。日本桜名所100選
並びに日本紅葉の名所100選に選定されている
嵐山の中心部を流れる桂川にかかる渡月橋は嵐山の象徴になっている。なお渡月橋を挟んで
上流が大堰川(おおいがわ)、下流から桂川と呼称が変わる。JR山陰線の北側には嵯峨野と
呼ばれる観光地が広がっている。

嵐山には13世紀末に亀山上皇が吉野からサクラ数百株を移植したとされ、その後も夢窓国師
によって吉野からヤマザクラ数千本が移植されるなどサクラやマツの植栽が行われた。
嵐山山麓に広がっていた森の多くは天龍寺領で明治時代の社寺上知令により官有地に編入
され、のちに嵐山国有林となった。1927年(昭和2年)には史跡名勝「嵐山峡」に指定され、1930
年(昭和5年)には風致地区に指定された。

<嵐山城跡 あらしやまじょうせき>

明応6年(1497)に山城の守護代・香西元長が築いたとされ、「嵯峨城」として記録にその名が
見られる。元長が年貢の取り立てに応じなかった村々を焼き払い上官の細川政元に咎められ
た際、逃げ込んだのが嵯峨城(嵐山)であったと考えられている。永正4年(1507)に政元の後継
をめぐり元長が敗死すると、嵐山城も廃城になったと考えられる。その後、細川晴元が再び
嵯峨に出陣しており、その際に使用されていた可能性がある。嵐山山頂に位置し、丹波との
国境に近い、京都盆地を見渡す標高382mの山だ。 細尾根上の山頂に3つの曲輪を置く。北端
の一番高い処に置かれた曲輪は、帯曲輪状に囲まれる。南斜面に長辺100m程の長細い曲輪
があり南東側にも堀切を隔てて曲輪を置く。ピークの北側にも、長さ50mを超える堀切がある。

<三角点情報>                                        
国土地理院

*P 275.6m 三等三角点 (点名:松尾) 35°0’14″ N 135°40′34″E

                                                         以上

 

<調査歩行 22/5/4

松尾大社

西芳寺前

登山口

松尾山 △275.6m

P350付近の松 (下から視認できる)

嵐山城址 P382

京都一周トレイルから渡月橋を俯瞰

トレイル標#32 (嵐山駅方面への分岐)

法輪寺の石段

嵐山⇔烏ケ岳の下見は未達成、尾根から保津峡への通行は不能とある

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