二上山・雌岳

 

参考地図 (フレーム順:西〜東)

近鉄・上ノ太子駅−聖和台4丁目−旧街道へ (Mapion地図)

上ノ太子駅−聖和台4目交差点−竹内街道−春日神社−太子御廟−宗門池−

−六枚橋−大道−竹内街道歴史資料館〜ろくわたりの道〜ダイトレ合流〜

〜ダイトレ合流〜二上山・雌岳〜岩屋峠〜祐泉寺−大池−

−當麻山口神社−中将姫墓塔−當麻寺−相撲館−当麻寺駅

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

 

付属資料

<太子町>                                              町のHP抜粋

近つ飛鳥と呼ばれた太子町は、大阪府内でも有数の歴史の宝庫として知られ、「王陵の谷」とも
呼ばれるように多くの古墳が所在し、石器の材料となったサヌカイトを産出する二上山や「日本
最古の官道」竹内街道など、歴史の息吹が各所に感じられます。
主な史跡; 推古天皇陵、用明天皇陵、孝徳天皇陵(山田上ノ山古墳)、敏達天皇陵(太子西山古
墳) 、松井塚古墳の石槨、二子塚古墳、仏陀寺古墳、御嶺山古墳、一須賀古墳群、鹿谷寺跡など
聖徳太子墓;
推古天皇の摂政として十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣などの進んだ政治制度
や文化を取り入れ、政治改革を図った聖徳太子は、日本書紀によると推古29年(621)に亡くなり、
磯長の地に葬られました。太子墓は径50メートル、高さ10メートルほどの円墳で、内部は精巧な
切石を用いた横穴式石室です。太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の3人の棺が納めら
れていると伝えられることから、三骨一廟と呼ばれています。

<竹内街道>                     
「国道」の誕生『難波より京に至るまでに大道を置く』抜粋

竹内街道・横大路(大道)は推古天皇21年(613)に外交の玄関口である難波津と政治の中心である
飛鳥・小墾田宮をむすぶ「大道」として整備された総延長40kmにもおよぶ我が国最古の国道。
大道は難波京朱雀大路よりまっすぐ南下する難波大道、堺から河内を抜ける竹内街道、更には
奈良盆地を東西に走る横大路から飛鳥にいたる上・中・下の三つの道から構成される。その後
この道を基準にして藤原京も造営され、今もなお東西南北の地割として残る。

この道を通し中国や朝鮮半島からの外交使節、遣隋使・遣唐使によって多くの文物がもたらされ
それとともに仏教が伝来し、聖徳太子らによって多くの仏教寺院が道沿いに建立された。野中寺
や西琳寺では、飛鳥時代の塔跡の基壇礎石を見ることができる。
聖徳太子ゆかりの四天王寺や叡福寺では、広大な寺域に荘厳な伽藍があり、當麻寺では日本に
唯一現存する天平時代の双塔式伽藍を拝観できる。
もう一つの舞台は、大阪と奈良の境にある二上山を越える太子町から葛城市までの道中である。
岩屋峠はサヌカイトや凝灰岩の産地として知られており、日本では珍しい石窟寺院である、鹿谷
寺と岩屋窟がひっそりと建つ。この地は王陵の谷とも呼ばれ河内飛鳥・近つ飛鳥とも言われ、
大和の飛鳥から飛鳥人が往来した道でもある。日本の国家としての歩みは、この大道から始まり
我々はその歴史的な証を目にすることができる。 (平成29年(2017)度に日本遺産に認定)

<中将湯>                                         
日本家庭薬協会HP抜粋

中将湯は、ツムラ創業以来100年以上の長きにわたって販売され続けているロングセラー商品で
現在のツムラの礎を築いた商品でもあります。初代・津村重舎(現ツムラの前身・津村順天堂の
創業者)が東京・日本橋に「中将湯本舗津村順天堂」の看板をかかげたのは、明治26年(1893年)
でした。そもそも中将湯は、初代津村重舎の母の実家である藤村家(奈良県)に代々伝わる婦人
病の妙薬でした。この薬の由来は、能や浄瑠璃に演じられてきた「中将姫伝説」に始まります。

中将姫伝説;
天平19年(747年)藤原鎌足の曾孫である藤原豊成とその妻、紫の前との間に待望の女の子が生ま
れ中将姫と名付けられました。しかし、姫が5歳の時に母が亡くなり、父は後妻を迎えましたが
継母は姫を憎み、ついには殺害を企てるようになりました。姫が14歳の時、継母は家臣に中将姫
を殺すように命じましたが、心優しい姫を殺せなかった家臣は、ひばり山・青蓮寺に姫を隠しま
した。 翌年、父に発見され都に連れ戻された姫は、世上の栄華を望まず、当麻寺に入って仏の
道に仕えることを決心しました。
この中将姫が、ひばり山で最初に身を寄せたのが前述の藤村家といわれ、それを契機に交流が
始り婦人病に良く効く秘薬を藤村家に伝え、藤村家家伝の薬『中将湯』になったという事です。

<三角点情報>                                             
国土地理院

*二上山 473.9m 三等三角点、女岳(点名) 34°31’21″N、 135°40′33″E

*P111.3m  三等三角点、北官山(点名) 34°31’16″N、 135°38′37″E          以上

 

<調査歩行 22/1/26>

太子前BSが叡福寺山門 /rollover 奥に聖徳太子御廟

旧竹内街道 /rollover

竹内街道歴史資料館

ろくわたりの道入口 /rollover 高速道路を潜る

ダイトレに合流 /rollover 雌岳・山頂

岩屋峠

當麻山口神社/rollover 中将姫墓塔

當麻寺・本堂 /rollover 奥の院

相撲館・けはや座 /rollover

近鉄・当麻寺駅にゴール

 

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