参考情報 <玉祖神社 たまのおやじんじゃ>
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大阪府八尾市神立にある神社。式内社で、旧社格は郷社。「玉祖明神」・「高安大明神」とも。
八尾市東部・高安地区(恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村)の氏神である。
社伝によると創始は710年(和銅3年)に周防国の玉祖神社から分霊を勧請したもので、その際
住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。この地に玉造部
の人々が住んでいたため、その祖神を祀ったものと考えられる。現在の社殿は、1725年(享保10)
の再建とされている。
参道の石段の脇に大きなクスノキが生えている。1949年(昭和24)に大阪府の天然記念物に指定
されている。同じく参道の石段下の脇には、かつては神宮寺として「薗光寺竹之坊」があったが、
明治維新後の神仏分離により廃寺となった。 本神社の少し北側を大阪市の玉造を起点とする
十三街道が通り、かつては交通の要所となっていた。十三街道によって玉祖と玉造がつながり、
両者の地名から何らかの関連があったと考えられている。
境内にはよくある狛犬ではなく、鶏の石像が鎮座しています。また国指定の天然記念物「長鳴鶏
ながなきどり」がいて、鳴き声が響き渡っています。鶏舎がいくつか設けられていますが、自由に
歩き回る鶏もいます。この長鳴鶏は、山口県にある玉祖神本社に伝わる国指定の天然記念物、
黒柏鶏の子孫だということです。
<高安山 たかやすやま>
大阪府と奈良県との境に位置する山。標高は487.5m、鉢伏山の異称がある。大和国と河内国を
結ぶ要衝で、飛鳥時代には高安城が築かれた。生駒山地の南方の大阪府八尾市服部川と奈良県
生駒郡平群町久安寺との境に位置するが、頂上(三角点)はわずかに大阪府側に位置する。その
すぐ南に大阪管区気象台の気象観測レーダー(高安山レーダー)がある。
高安城は、史書にその名がみえるものの、明確な遺構・遺物は未発見である。1978年(昭和53)
「高安城を探る会」が山中で礎石建物跡を発見し、一躍注目される存在となる。 発見された
礎石建物跡6棟のうちの、2号と3号の礎石建物の発掘調査は、8世紀前期の建物と推定される。
その後も、大阪府や奈良県が推定地内で発掘調査を実施したが、明確な遺構は確認されてない。
<信貴山 しぎさん>
奈良県生駒郡平群町に位置する山で、奈良百遊山の一つに選定されている。名称は聖徳太子が
物部守屋を攻めた時にこの山で毘沙門天が現れた逸話で、太子が信ずべし、貴ぶべしと言った
ことに由来すると伝わる。
外観は雄岳と呼ばれる北峰(437 m) 、および雌岳と呼ばれる南峰(400.5
m) の二峰からなり、
花崗岩を基盤とする安山岩質の岩石から構成される。生駒山地は西側が断層により急傾斜して
いるのに対し、東側(奈良県側)は比較的傾斜も緩く、侵食の進んだ樹枝状の谷が稜線近くまで
発達している。このような特徴から信貴山の東側は中腹まで住宅地や樹園地・水田が分布してる。
南側山腹には信貴山真言宗朝護孫子寺が建ち、山頂には山城である信貴山城があった。山頂
から北へ100mほど下った所から左へ曲がる細い山道に入れば、高安城跡倉庫礎石群の横を通り
高安山方面へと繋がる。
大正時代から昭和初期にかけて奈良県・大阪府からそれぞれ鉄道路線・ケーブルカーが開通
した。1958年(昭和33年)には信貴生駒スカイラインも開通して門前町が発達している。
信貴山城は、平群町信貴畑にあった日本の城で木沢長政・松永久秀の居城となった。大和と
河内の国境にある信貴山山上に築かれた要衝の地で、松永久秀はこの山上に南北880m、東西
600mに及ぶ城郭を築いた。付近には、高安山城、南畑ミネンド城、立野城など支城が存在した。
<三角点情報>
国土地理院
*高安山 487.5/二等三角点、 点名(峰山) 34°37'
1 ″N 135°39′27″E
以上
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