参考情報
<談山神社 たんざんじんじゃ>
桜井市HP抜粋
大化改新の中心人物の藤原鎌足を祀る神社で、江戸時代まで多武峰寺と総称され、神仏両様
であったが、明治維新後、談山神社となった。天下異変のとき御破裂山が鳴動し、鎌足の木像が
破裂するといわれている。神社周辺は紅葉の名所として知られる。
舒明、皇極二代の天皇の世に、国の政治を欲しいままにしていた蘇我蝦夷、入鹿の親子を討伐し、
政治を改革しようとした中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が西暦645年5月
に藤の咲き乱れる多武峰に登って「大化の改新」の談合を行ったことから、後にこの山を談い山、
談所ヶ森と呼びまた神社の社号の起こりとなりました。
<御破裂山 ごはれつさん>
桜井市HP抜粋
談山神社の奥に位置する山で、自然林の茂る山上に墓があり、藤原鎌足の墓と伝えられている。
(一説に鎌足の子・定慧の墓とも言われる) 現地は眺望絶景で、大和平野が一望でき、大和三山
や遠くは葛城連峰が望まれ、しばし古代に思いをはせるのも楽しい。
<明日香村 あすかむら>
歴史街道推進協議会HP抜粋
奈良県の中央部付近に位置し、592年から平城宮に遷都される710年までの飛鳥時代に歴代の
天皇が宮を置いたところ。日本の原風景を偲ばせる景観とともに古代都市空間を今に伝えて
います。 古代、朝鮮半島から多くの渡来人がやってきて、新しい技術や知識をここに伝えました。
飛鳥はまさに「飛ぶ鳥」のように遠い大陸からやってきた渡来人が、朝廷直属の部民として暮ら
した「安宿(安心して暮らせる場所)」であり、これが「あすか」の語源であるとも言われる。
日本で唯一、全域が古都保存法対象地域の自治体である。また村全体の世界遺産登録に向けた
計画が具体化している。時代区分の一つの飛鳥時代が名称の由来となっている自治体である。
元の名称は「飛鳥村」であったが、昭和31年7月に阪合村・高市村との合併により、「明日香村」
になった。面積:24.1平方Km 総人口:5,084人(2024年9月1日) 人口密度:210人/平方Km
<石舞台古墳 いしぶたいこふん> 飛鳥歴史公園HP抜粋
奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳で国の特別史跡に指定されている。飛鳥歴史公園
石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大級の方墳です。墳丘の盛土が全く残っておらず、
巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独特の形状です。天井石の上面が広く平らで
まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれています。
30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の
優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。
<橘寺 たちばなでら>
橘寺HP&Wikipedia 抜粋
奈良県明日香村橘にある天台宗の寺院。山号は仏頭山。本尊は聖徳太子。正式には「仏頭山
上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った
田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。
創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、
太子建立の7カ寺の一つ。当初は66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとって
いた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。
室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。
境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。
<三角点情報>
国土地理院
* 御破裂山△607.4m 四等三角点、点名(破裂山) 34°28′13″N 135°51′37″E
以上
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