水井山・横高山

 

参考地図 (フレーム順:北〜南)

〜仰木峠〜東海自然歩道〜ゲート〜三千院方面分岐−BS

〜せりあい地蔵・横川方面分岐〜横高山 P767〜水井山 △794〜

〜有料道路TN潜る〜玉体杉〜横高山〜

ケーブル延暦寺駅−阿弥陀堂−弁慶水−浄土院−釈迦堂〜有料道路TN〜

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

 

                      参考情報


<比叡山延暦寺 ひえいざんえんりゃくじ>                           

                                 
Wikipedia抜粋
 

滋賀県大津市坂本本町にある標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院。
山号は比叡山。本尊は薬師如来。 比叡山、または叡山とも呼ばれる。

平安時代初期の僧・最澄(767年−822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。
住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。横川中堂は新西国三十三箇所第18番札所
で本尊は聖観音である。1994年(平成6年)には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の
歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。

最澄の開創以来、高野山金剛峯寺と並んで平安仏教の中心寺院であった。天台法華の教えの
ほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や
貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、
真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。

「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔
(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(総称して「三塔十六谷」)に所在する
150ほどの堂塔の総称である。 「日本仏教の礎」によれば、比叡山の寺社は最盛期は三千
を越える寺社で構成されていたと記されている。

延暦7年(788年)に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を東塔北谷に建てたのが
始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年
(823年)のことであった。
延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、
浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の
開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行して
いることから、「日本仏教の母山」とも称されている。

和歌などに「我が立つ杣」や「都の不二」と詠まれてきた比叡山は文学作品にも数多く登場する。
また、「十二年籠山行」「千日回峰行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の
代表的な聖地である。

<三角点情報>                               国土地理院

*水井山△793.9m 三等三角点、点名(釈迦岳) 35° 5′45″N   135°50′15″E

*大比叡△848.1m 一等三角点、点名(比叡山) 35° 3′57″N   135°50′ 4″E

以上

 

<調査歩行 24/10/26>

大原・野村別れBS・ファミマ前から出発

横川道と三千院への分岐

東海自然歩道を登る (渡渉一箇所)

仰木・おおぎ峠から尾根を縦走

水井山 三角点 793.9m

横高山 767m

玉体杉

有料道路下のトンネルを潜る

釈迦堂

有料道路上の橋を渡り、ケーブル延暦寺駅へ (叡山ケーブルと坂本ケーブルに分岐)

 

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