参考情報 <たつの市>
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兵庫県の南西部(西播磨県民局)にある市。2005年10月1日に龍野市、揖保郡新宮町・揖保川町・
御津町が合併して誕生した。市中心部龍野町には武家屋敷や白壁の土蔵が今も残っており、
龍野藩5万3千石の城下町の面影から「播磨の小京都」と呼ばれている。
自治体名は「たつの」ではあるが、駅名は「竜野」、歴史的固有地名は「龍野」である。
「播磨国風土記」によれば、龍野の由来は野見宿禰が揖保郡(現・たつの市)で没した際、出雲
から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだという故事から「立野」と
呼ばれ「龍野」に変化したとされている。野見宿禰の墳墓と伝わる場所には野見宿禰神社がある。
地理:たつの市は南北に長い地形で、市域の北側には山地が広がり、南側は瀬戸内海に面し
南北を揖保川が流れている。(山)綾部山 -
御津町、(河川)揖保川、栗栖川、(峠・坂)相坂峠
(国道179号)、二木峠(県道5号)、莇原峠、岩見坂
たつの市役所HP抜粋
特産品:たつのの醤油 播磨平野の豊かな小麦、山間部に産した質のよい大豆、そして手近で
良質の赤穂の塩は、清らかな揖保川の水とおだやかな気候に恵まれて、当地の醤油を育みました
手延素麺「揖保乃糸」、醤油まんじゅう、梅琥珀(うめこはく)、鮎のすがた焼き、皮革製品等
人口:合併当初の人口は約8万1500人、現在は微減し7万3068(令和6年2月末)人ほどである。
<野見宿禰神社 のみのすくねじんじゃ>
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相撲の元祖であり、殉死の代わりに埴輪を考案したことで有名な野見宿禰。 市の北龍野にある
神社で、播磨国風土記に伝わる出雲墓屋伝承地に建てられ、神社敷地内に野見宿禰の塚が
ある。龍野公園内にある境内には明治大正時代の力士84名および行司が寄進した玉垣が残
る。石扉には出雲大社千家氏の紋章がある。
播磨国風土記によれば、野見宿禰は大和から故郷の出雲へ帰る途中、日下部野(くさかべの)で
病没した。野見宿禰を悼み、出雲から多くの人が訪ねて野見宿禰の墓を建てるために人々が野を
手送りで石を運んだという。この光景が「野に立つ人」から「立野(たちの)」「龍野」となり、現在の
「たつの」の由来になったと云われる。なお、野見宿禰の墓と伝わる箇所は全国に複数存在する。
<「寝釈迦」の風景>
姫新線利用促進・活性化同盟会HP
ゆったりと横たわるお釈迦さまの寝姿と豊かな水をたたえる揖保川の流れに、日常の喧噪を忘れ
穏やかな時の流れを感じ、古くからこの風景を「寝釈迦」と呼び、人々は手を合わせてきたと云う。
東觜崎駅から北に約1km。觜崎磨崖仏の東側、小山の上に古宮天満神社がある。その境内から
左手側の岩場を上ると視界が開ける。丁度磨崖仏の上辺りか、断崖絶壁の下に揖保川が見える。
もう少し高い処を目指し屏風岩の頂上に向かう小道を進む。小さな墓地を抜け、鹿よけフェンスを
越え、ゴツゴツとした岩場の道を進む。ひときわ大きな岩肌を登り、木々が途切れたところで振り
返る、「寝釈迦」の大パノラマが見える。
龍野城がある鶏籠山をお釈迦さまの頭に見立て、両見峠が首、的場山から亀山にかけての緩や
かな起伏が胸から腹にあたる。下流のまちを潤す揖保川の流れ、広がる田園風景、そして鉄橋
を渡る姫新線の音。 絶景の中で、穏やかな時間を感じることができる。 自然に心が落ち着き、
日頃の雑念が消え、明日に向かう新しいエネルギーをもらえる。
<三角点情報>
国土地理院
*P263.0 /四等三角点、 点名(池ノ内) 34°54'
12 ″N 134°33′48″E
*P260.9 /四等三角点、 点名(宮垣内) 34°54'
34 ″N 134°34′20″E
*P167.7 /三等三角点、 点名(愛宕山) 34°53'
41 ″N 134°34′10″E
以上
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