根来山
参考地図 (フレーム順:北〜南) |
〜管理棟〜O点〜スカイライン路〜山頂△〜ススキ尾根〜大谷新池〜大谷川林道〜 |
BS−身代不動尊〜西展望広場〜G点〜I点〜管理棟〜 〜林道〜密厳墓地〜根来寺見学ーBS |
地理院地図・電子国土Web Scale
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参考情報 |
<根来山げんきの森/ 和歌山県立森林公園> JRおでかけネットHP
Ext. 和歌山県北部の和泉山地南麓に広がる里山森林公園(面積195ha)。整備段階から県民が ボランティアとして森林整備に関わり、県との協働により作り上げた。公園開園後も、 ボランティアは根来山げんきの森倶楽部の名称で活動を継続し、2006年からは県の指定 管理者として公園の管理運営にあたっている。 <根来寺 ねごろじ/ ねごろでら> Wikipedia Ext. 岩出市にある新義真言宗の総本山の寺院。山号は一乗山。本尊は大日如来・金剛薩?・ 尊勝仏頂の三尊。開山は覚鑁カクバン(興教大師)。詳しくは一乗山大伝法院根来寺と称す。 歴史:平安時代後期の高野山の僧・覚鑁が、1130年(大治5年)に高野山内に小伝法院を 創建したことに始まる。1131年(天承元年)、鳥羽上皇により勅願所とされたのを機に、 院号を大伝法院と改めた。1134年に覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、高野山全体を統轄する 強大な勢力をもつに至る。覚鑁は当時堕落していた高野山の信仰を建て直し、宗祖・空海 の教義を復興しようと努めたが、高野山内の衆徒はこれに反発し、覚鑁一門と反対派は 対立しあうようになった。 1140年(保延6年)には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力 により焼き討ちされるという事件(錐もみの乱)が発生し、覚鑁一門は高野山を下りて大伝 法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺に拠点を移した。さらに新たに円明寺を 建てて伝法会道場とする。こうして豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山 総称としての根来寺が形成される。 室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、 寺領72万石を数え、1万余の根来衆とよばれる僧兵軍団を擁した。また、根来寺僧に よって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧兵による鉄砲隊が 作られた。織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長没後、羽柴 秀吉と徳川家康・織田信雄の戦い(小牧・長久手の戦)においては徳川方に通じ、留守 であった秀吉方の岸和田城を襲ったほか、南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀 攻め(紀州征伐)を招くこととなった。 根来寺は、鉄砲の生産地であった近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが 各地で敗れ、1585年(天正13年)、秀吉軍は根来寺に到達。大師堂、大塔など数棟を残 して寺は焼け落ちた。根来寺における戦いでは寺衆はほとんど抵抗を行わなかったた め焼き討ちの必要性は薄く、炎上の原因は、秀吉による焼き討ち、寺衆による自焼、 兵士による放火など多説あるが、定かではない。焼け残った大伝法堂は秀吉が信長 の廟所として京都の船岡山に建立する予定であった天正寺の本堂にするために解体し て持ち去っていった。しかし、天正寺は建立されず、部材は大坂の中津川沿いに持って きたまま放置された。現在の大阪市此花区伝法である。 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで徳川方が勝利した翌年、家康は京都・東山の豊国社の 付属寺院の土地建物を根来寺の僧で焼き討ちされた塔頭智積院の住職であった玄宥に与え、 智積院は東山の地に再興された。1615年の大坂の陣で豊臣家が滅びた後、家康によって 秀吉が鶴松を弔うために建立した祥雲寺が根来寺に寄進されるが、それを智積院が譲り受 けて自らの寺地を拡大させた。 江戸時代には紀州徳川家の庇護のもと主要な伽藍も復興され、また、東山天皇より覚鑁上人 に「興教大師」の大師号が下賜された。 1976年(昭和51年)から寺域周辺の発掘調査が行わ れて、往時の根来寺の規模が400万平方メートル余りと壮大であったことが学術的にも裏付け られた。また、発掘によって陶磁器、漆器、仏具、武器などのおびただしい遺品が出土した。 それら遺品は敷地内に建てられた「岩出市民俗資料館」で保管・展示されている。 以上 |
<調査歩行 25/3/1>
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身代わり不動尊 (鐘楼の裏が登山口) |
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根来げんきの森・西展望広場 |
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根来げんきの森・管理棟 |
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根来げんきの森・P地 |
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土仏林道・土仏峠 |
土仏林道・馬別れ |
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ボンデン山 △468.5m |
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ババタワ分岐 (東へはササ峠/犬鳴山、西の葛畑集落へと下山) |
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ボンデン山展望台 (ババタワ分岐の近く) |
葛畑を経て道の駅さくらの里BSへ |
(例会では土仏林道〜ババタワ〜葛畑を回避し、元気の森の周回コースを踏破) |
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