参考情報 <紀の川市>
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和歌山県の北部(紀北)に位置し、西側は岩出市と和歌山市、東側はかつらぎ町、南側は海南市
及び紀美野町に接している。北側はすぐ大阪府で、岸和田市、貝塚市、泉佐野市、泉南市に接
している。 ただ、貝塚市については、同市にある渓流園地と紀の川市にある粉河ハイランド
パークの間にある林道 東手川線を除き、直接結ぶ道路は整備されていない。
紀の川市は北に和泉山脈、南に紀伊山地を控え、この間を東西に市名の由来でもある一級河川
紀の川が貫流している。南部からは貴志川が紀の川に合流しており、平野部はこれらの河川に
沿って発達している。市の総面積は228.21km2で、和歌山県全域の約5%を占める。人口57110人
(2024年3月1日推計)
<桃源郷/旧桃山町は2005年紀ノ川市に合併> 観光協会HP抜粋
桃色の霞とほのかに甘い香りで包まれた場所。そこはまるで俗世間を離れた別天地「桃源郷」の
よう。やさしい空気に満たされたそんな夢の地が、紀の川の南側に3月下旬〜4月上旬にかけて出
現。紀の川沿いに広がる「桃源郷」はかおり風景100選にも選ばれ、「ひと目十万本」と云われる。
「桃源郷」で栽培される桃は、「あら川の桃」ブランドとして全国に知られています。
<華岡青洲 はなおかせいしゅう> 観光協会HP抜粋
宝暦10年(1760)旧那賀郡名手荘西野山村(紀の川市西野山)に生まれ、手術の痛みを取る術が
なかった時代、長年研究を重ねた青洲は、動物実験、さらには妻と母への人体実験を経て、
曼陀羅華(まんだらげ)を主成分とする麻酔薬「通仙散
つうせんさん」を完成。
文化元年(1804年)には、世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術に成功。アメリカのエーテル
麻酔成功より40年余前の快挙でした。
「青洲の里」では、彼の遺品や門弟達が残した資料の展示、住居兼診療所であった「春林軒」
が復元されています。命を救うという青洲の信念、そして当時の人々に希望を与えた彼の偉業
は今もなお語り継がれています。
<西行 さいぎょう>
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平安時代末期から鎌倉時代初期、元永元年(1118)−文治6年(1190)にかけての日本の武士で
あり、僧侶、歌人。西行法師と呼ばれ、俗名は佐藤義清(憲清、則清、範清とも記される)
西行は号であり僧名は円位。後に大本房、大宝房、大法房とも称す。
和歌は約2,300首が伝わる。勅撰集では「詞花集」に初出1首。「千載集」に18首、「新古今集」
に94首をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に「山家集」、「聞書集」。
その逸話や伝説を集めた説話集に「撰集抄」「西行物語」がある。
父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女である。祖父の佐藤季清も父の康清も衛府に
仕え、紀伊国田仲荘(和歌山県紀の川市、旧那賀郡打田町竹房)を知行地としていた。母系に
ついてはよく判ってないが、源清経については考証があり文武に秀でた人物だったとされる。
*補足*市立図書館では、那賀出身の医聖「華岡青洲」、打田生誕の平安の歌人「西行法師」
紀の川市にゆかりのある人物等の資料の収集に努めている。
<三角点情報>
国土地理院
*最初ケ峰 285.2/三等三角点、 点名(竹房) 34°14'
22 ″N 135°22′15″E
*P24.5 /四等三角点、 点名(段) 34°14'
54 ″N 135°20′34″E
以上
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