三子山 |
参考地図 (フレーム順:北〜南東) |
黒川口BS〜大宮神社〜市場〜新名神高速道下〜 |
〜笹路・三子神社〜地蔵〜アケビ原分岐〜東海自然歩道〜 |
〜自然歩道〜急坂〜県境尾根分岐・鉄塔⇔三子山・北峰往復〜鈴鹿峠〜片山神社〜 |
〜旧坂下宿場跡・BS−馬子唄会館・BS |
Time Record: 黒川口BS(60)アケビ原分岐(40)県境尾根分岐(80)⇔三子山北峰(35)鈴鹿峠(55)坂下BS Σ270分 約11Km |
地理院地図・電子国土Web Scale 100m |
付属資料 |
<三子山> 鈴鹿峠東に並ぶ三つの峰は、峠越えの旅人が目印にしたと云う。北に四方草/シオソ/山667mが 連なり、安楽峠越えで石水渓谷へ降りれる。西は高畑山773mを経て油日岳へ縦走路が連なる。 今回は滋賀県側から東海自然歩道を登ります。尾根分岐点から南中北峰まで三座をピストンし、 鈴鹿峠へ下ります。南峰の東側には、片山神社の元宮にあたる磐座もあります。北峰の頂き568m からは近江側が少し開け綿向山、雨乞岳も遠望が可能です。 三角点無し、ピークの北峰: N34-53-56 E136-21-0 (国土地理院) <鈴鹿峠> 古代においては、鈴鹿を越えるには加太川に沿って多くの瀬を渡らなければなりませんでしたが、 都の移転により、886年「阿須波道」と呼ばれた現在の鈴鹿越えが開通し、これにより峠一帯が 鈴鹿山と呼ばれるようになりました。しかし坂道の険しさ・気象の変化の激しさから東海道の難所 と捉えられていました。また、追いはぎなど盗賊も出没し、その意味でも難所だったようです。 かつては表面が鏡のように輝き、盗賊が旅人の姿を岩に映して襲ったという鏡岩が県指定の天然 記念物となっています。鏡岩の側からは、国道1号線を見渡すことができます。 . 三重県側は険しく、天候の変化が激しいため、鈴鹿馬子歌に「坂は照る照る鈴鹿はくもる、あいの 土山雨が降る」と唄われました。 <片山神社> 古くは「鈴鹿明神」「鈴鹿権現」などともよばれ、延喜式内社として古代から信仰を集めてきた 片山神社。周囲の緑濃い自然は荘厳な雰囲気を漂わせ、訪れる人々に神聖な土地であること 古くは「鈴鹿明神」「鈴鹿権現」などともよばれ、延喜式内社として古代から信仰を集めてきた 片山神社。周囲の緑濃い自然は荘厳な雰囲気を漂わせ、訪れる人々に神聖な土地であると感 じさせてくれます。この神社は東海道を旅する人々から、特別 な思いで敬われたらしく、色々な 旅日記にも記載され、西国の諸大名からも多額の寄進を受けました。神社の境内には、鈴鹿流 なぎなた術発祥地碑と孝子万吉顕彰碑なども建っています。 <坂下宿> 東海道48番目の宿場町。東の箱根と並び称された東海道の旅の難所・鈴鹿峠の麓、河原谷橋 から岩屋観音まで約1kmの範囲が坂下宿です。鈴鹿馬子唄にも「坂の下では大竹小竹宿がとり たや小竹屋に」(「坂下宿の本陣、大竹屋に泊まるのは無理だが、せめて脇本陣の小竹屋に泊 まってみたい」という意味)と唄われたように、当時は大きな旅篭が軒を並べ、本陣の数も多 く街道一の賑わいを見せていました。 室町時代に、有名な絵師である狩野元信が絶景をその美しい絶景がうまくかけず筆を投げた事 から名前がついたと言われる筆捨山を題材にした、坂下宿の景色を描いた広重の絵も有名です。 (亀山市観光協会HP抜粋) |
<調査歩行 19/12/14>
バス停傍にある大宮神社 |
国道一号線傍の十楽寺(例会では回避) |
東海自然歩道に合流(笹路) |
急坂を登り、県境尾根分岐に届く(500m) |
三子山・北峰(568m) 雨乞岳方面遠望、北隣の四方草山へ70分の標/3.7例会 |
旧東海道・鈴鹿峠 /rollover 常夜灯 |
片山神社(元は三子山にあったが、火災により移った) |
旧宿場・坂下のBS(JR関駅へ走る) |
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