国見山
参考地図 (フレーム順:北〜南東) |
御陵前バス停〜春日宮天皇陵〜山さと市場〜県道〜 天満神社〜矢田原口BS |
〜春日宮神社〜茶畑〜 〜磨崖仏〜切りつけ地蔵〜 |
〜茶畑〜山頂〜三角点〜塔の森石塔〜日吉神社〜 |
地理院地図・電子国土Web Scale 100m |
付属資料 |
*春日宮天皇陵(田原西陵)
万葉集の歌人として知られる光仁天皇の父志貴親王の御陵です。 62才で即位した光仁天皇は、 父を春日宮天皇と追尊し墓を陵に改めた。 陵の入口付近には、志貴親王が詠んだ碑が建つ。 *光仁天皇(こうにんてんのう) 709年11月18日 - 782年1月11日は、第49代天皇(在位:770年10月 - 781年4月) 陵は奈良市 日笠町にある田原東陵に治定されている。 (2019年5月に即位した今上天皇は第126代) *志貴皇子(しきのみこ) 志紀皇子(? - 霊亀2年8月11日(AD716年9月1日)、飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけて の皇族。芝基皇子または施基皇子、志紀皇子とも記す。 天智天皇の第七皇子だが、壬申の乱の影響もあって主流は天武天皇系に移って、生前は皇位 とは無縁で文化人としての人生を送った。しかしその薨去から54年後に、第6子・白壁王が即位 (第49代光仁天皇)し、春日宮御宇天皇の追尊を受けることとなった。 *清澄で自然鑑賞に優れた歌人として『万葉集』に6首の和歌を残している。いずれも名歌。 石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも 神なびの 石瀬の杜の ほととぎす 毛無の岡に いつか来鳴かむ 大原の このいち柴の いつしかと 我が思ふ妹に 今夜逢へるかも さびは 木末求むと あしひきの 山の猟師に 逢ひにけるかも 采女の 袖ふきかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く 葦辺ゆく 鴨の羽交(はがひ)に 霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ *皇室典範により天皇・皇后・皇太后・太皇太后を葬る所を陵(みささぎ/りょう)、その他の 皇太子や親王などの皇族を葬る所を墓(はか/ぼ)と定められている。 宮内庁管理の陵墓は、北は山形県から南は鹿児島県まで在り、歴代天皇陵が112、皇后陵な ど76で計188。皇族等の墓が555。分骨所・火葬塚・灰塚などの陵に準じるものが42、髪歯爪塔 などが68、伝承などから陵墓の可能性がある陵墓参考地が46あり、総数は899である。 同じ場所に所在するものもあるので、箇所数は458となる。 ウィキペディア(Wikipedia)抜粋 |
<調査歩行 19/5/3>
田原御陵前バス停 |
春日宮天皇陵 (しきのみこ) |
県道脇の標 |
山頂の標 |
山頂からの下山路に石塔 |
舗道脇にある磨崖仏 |
矢田原口バス停傍の山里市場 |
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