三石岳・八王子山

 

参考地図 (フレーム順:北〜南)

〜三石岳分岐〜横川中堂分岐〜長寿院・松禅院〜

〜神宮寺旧跡〜西教寺道出合〜三石岳分岐⇔三石岳〜            〜西教寺門〜

駅〜日吉大社〜八王子山下〜神宮寺道〜             〜西教寺道〜千躰地蔵〜坂本駅

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m


付属資料

<穴太積>

あのうづみは、野面積(野面積み)を指して昭和初期以降に用いられるようになった俗称で、
穴太衆が手がけた野面積の石垣のことを言う。。延暦寺の門前町・坂本には、穴太衆と呼ば
れる石工集団・石垣職人であり、実際は玉石積や切石積も行えた。
「石の声を聞け」という口伝に象徴されるように、加工しない自然石を巧みに組み合わせる
「穴太衆積み」という技法で作られ、戦国時代には城壁にも用いられました。里坊の町には
今も石垣が美しい町の景観を作り出しています。         (フリー百科Wikipedia抜粋)

<日吉大社>

ひよしたいしゃは、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)
の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。境内大宮橋は日本百名橋に選
定されている。

比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された。
全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際に、この地が都の表鬼門
(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺
を開かれてよりは天台宗の護法神として崇敬を受け、今日に至っています。 (神社HP抜粋)


<三角点情報>

*三石岳  675.6: 三等△. 点名(三石岳) 35-5-3N 135-51-4E
                                                (国土地理院)

<西教寺>

さいきょうじは大津市坂本にあり天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400寺
以上の末寺を有する。 山号は戒光山、本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は聖徳太子とする
伝承もあるが判然とせず、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺して
から栄えた。寺名は詳しくは兼法勝西教寺という。

元亀2年(1571)、織田信長による比叡山焼き討ちの際に西教寺も焼失した。本堂は焼失の3年後
に復興した。焼失した旧本尊の代わりに、甲賀郡(現・滋賀県甲賀市)の浄福寺という寺から
阿弥陀如来像を迎えて本尊とした。この阿弥陀如来像は現存し重要文化財に指定されているが、
この像がもとあった浄福寺については詳細不明である。また、現存する本堂はその後改築され
たもので、江戸時代中期の元文4年(1739年)の上棟である。

信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城
を築いた。光秀は坂本城と地理的にも近い西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助が
あったと推定されている。光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の
寄進状が寺に現存している。また、境内には光秀の供養塔や光秀一族の墓が立っている。
                                          (フリー百科Wikipedia抜粋)

 

<調査歩行 20/6/15>

日吉大社・東本宮よこから急坂を登る

八王子山下の牛尾宮 /rollover 金大巌(こがねのおおいわ)

日吉神宮寺旧跡 (2006年に発掘された室町時代の遺構)

三石岳・三角点 675.6m

大宮谷と横川中堂の分岐 (例会時は東側の長寿院へと下る)

珍しいモリアオガエルの卵

大宮谷ゲート

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