参考情報
<六甲全山縦走>
神戸市HP抜粋
六甲山系を通って神戸市須磨浦公園から宝塚迄の全長56kmを1日で歩く大会。主催者は神戸市。
*2023
KOBE六甲全山縦走・半縦走大会(第49回)を11月12日(日曜)に開催決定!
今年は、より多くの方々に六甲山を楽しんでいただけるように、新神戸をゴール地点とする
「半縦走」を併せて実施!8月9日から参加者及びボランティアを募集、皆様ご応募ください!
定員:全縦;1,800人 半縦;500人/参加料:全縦;6,000円
半縦;一般4,000円 中学生2,000円
コース:須磨浦公園〜須磨アルプス〜高取山〜菊水山
(↓新神戸)〜掬星台〜一軒茶屋〜宝塚
(歴史)
Wikipedia抜粋
六甲全山縦走路は、新田次郎の小説「孤高の人」で知られる登山家、加藤文太郎のエピソード
にちなんで整備された。(須磨に住んでいた加藤文太郎は、わずか1日で須磨から宝塚まで歩き、
さらに須磨まで歩いて戻ったという)。六甲全山縦走は1925年1月に須磨浦公園の敦盛塚から
宝塚まで行った事が始まりとなっている。翌年には「第1回六甲山脈大縦走」を宝塚から須磨
への逆縦走で開催した。
1970年代前半、神戸市では市民の余暇を考える余暇開発課を設置した。登山、ハイキングの需要
と、六甲山の活用が出てきた。そして、六甲山系を縦走してみたいが一人では
不安という市民を
対象に、全縦大会を開こうと話が進んだ。個人にチャンスを与える大きなきっかけとなった。
1975年の勤労感謝の日に「第1回六甲全山縦走大会」を開催した。
安全面からの検討を重ねた結果、参加対象を神戸市在住か在勤者に限った。第3回から全縦
市民の会が発足し、神戸市と共催になった。第9回から参加者が減少したため、第12回以降、
神戸市外の参加者も受け入れており、約6割が神戸市外の参加者である。新型コロナウイルス
感染症流行の影響で第46回、第47回大会は中止となり、第48回大会は定員を1800人に規模を
縮小し、半縦走は実施しない事になった。
参加人数は1975年の第1回大会から2019年の第45回大会までの間に延べ160,214人に上り、
その内の83.8%にあたる134,320人が完走した。
<塩尾寺・えんぺいじ>
Wikipedia抜粋
宝塚市にある浄土宗の寺院。山号は潮泉山(ちょうせんざん)。
歴史:塩尾寺の建立は約1400年前と古く、中山寺、小林寺、平林寺、円国寺、金龍寺等と共に
摂津国武庫七大寺の一つとして伝えられている。十一面観音菩薩がまつられていたと古い書物
に記されている。言い伝えによれば、寺の成り立ちには以下のような経緯がある。
室町幕府の将軍が第12代の足利義晴であった時、周辺に暮らしていたある一人の貧しい老女は
腫れ物で苦しんでいた。老女は月々に中山寺に参詣し、懸命に信仰し続けていたが、ある晩彼女
の夢の中に僧侶が現れ、「武庫川の大柳の下(現在の宝塚温泉近辺)に湧く霊泉で湯浴みを行え
ば貴方の病は癒える」と告げて消えた。その通りに霊泉を湯として体を洗ったところ、程なくして
腫れ物は治った。 この老女の頼みにより、大柳で「柳の観音」「塩出観音」と呼ばれる観音像が
こしらえられ、建立された寺が後の塩尾寺である。
<逆瀬川・さかせがわ>
Wikipedia抜粋
武庫川水系の支流で兵庫県宝塚市中部を流れる二級河川。 阪急今津線逆瀬川駅周辺の地名
でもある(逆瀬川1〜2丁目)。 武庫川から逆流した水で被害を被った故の名前とか。
六甲山地東端部の小笠峠(標高420m
宝塚市小林)に源を発し、東へ急流を6Km下る。
中流部の丘陵地帯から北東流に転じ、宝塚市中州と末広町の境界で武庫川に注ぐ。
急流故に上流部からの土砂流動が著しく、砂防には長年の取り組みを要した。2019年に
1934年ごろの赤木正雄による砂防設備は土木学会選奨土木遺産に選ばれる。
(追記) 六甲山ヒルクライムの逆瀬川ルートは、川沿いを上り六甲山頂までのサイクリング路
JR甲子園口〜六甲山頂〜JR神戸駅・阪神阪急神戸駅まで、行程58Km、標高差887m
<三角点情報>
国土地理院
*岩倉山 488.4 三等三角点、点名(小林) 34°48'
5 ″ N 135°19′19″E
*行者山東館峰 383m 基準点二等 34°47'
47 ″ N 135°19′33″E
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