十方山・"サントリーやま"

 

                            参考地図 (フレーム順:東〜南西)                    as 7/15

西山天王山駅〜小倉神社〜神社分岐⇔十方山〜分岐〜

〜”サントリー山”〜椎尾神社・工場奥−山崎駅−大山崎駅

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

参考ページ こちら

 

付属資料

<山崎蒸溜所(やまざきじょうりゅうしょ)>                         WikipediaExtracted

大阪府島本町にあるサントリースピリッツのウイスキー蒸留所である。同蒸溜所では、同社の
シングルモルトウイスキーの主力銘柄である「山崎」を生産し、同蒸溜所及びインターネット
ショップ限定販売の山崎の樽出原酒を生産する。
サントリーでは、山崎を「水生野」(みなせの)と呼ばれた名水の地だとしている(近くの水無瀬神宮
の離宮の水は名水百選に選定)。 かつて千利休は山崎に茶室を設け、水質の良さと3つの川
(宇治川、木津川、桂川)が合流するために霧が立ち込めている立地がウイスキーづくりに適して
いるとされる。

1923年、寿屋(現・サントリーホールディングス)によって日本初のモルトウイスキー蒸留所として
山崎蒸溜所が開設された。寿屋創業者・当時の社長である鳥井信治郎は、本格的なウイスキー
製造を目指し、蒸溜所開設を企画し、1923年、スコッチ・ウイスキーの本場スコットランドで
ウイスキー製造を学んだ竹鶴政孝を招聘、山崎蒸溜所長に任じた。竹鶴は日本におけるウィスキー
づくりの好適地は北海道であることを訴えるが、鳥井は輸送コストがかかることに加え、工場見学
を消費者にしてもらうことを考えていたため、工場の位置だけは京阪神付近の交通の便が良い
所で良い水のある場所にするように命じ、それ以外のことは竹鶴に任せたとされる。

1929年、山崎蒸溜所は日本初のウイスキー「白札」を製造・出荷した。竹鶴は10年の契約期間が
終了した際、鳥井との基本的な方向性の違い(竹鶴は経営的には不利でも北海道に蒸溜所を作り
たかったことなど)もあり契約を更新せず寿屋を退社し、北海道余市郡余市町に大日本果汁(後の
ニッカウヰスキー)を興している。 山崎蒸溜所建設の準備資料や設計図「壽屋スコッチウヰスキ
ー醸造工場設計図」は、初代所長・竹鶴政孝の遺品中に発見され余市蒸留所のウイスキー博物
館で展示されている。

(公式ラインナップ・現行品)
山崎:2012年5月に「新白州」と同時発売。通称「新山崎」。14年ぶりに加えられたラインナップ、
   ワイン樽貯蔵モルトやミズナラ樽貯蔵モルトをはじめとする複数の原酒をヴァッティング。
山崎12年:酒齢12年以上のホワイトオーク・シェリー・ミズナラの3つの樽から厳選されたモルト
     原酒を使用。700ml・43度 / ミニチュア瓶・50ml・43度。
山崎18年:酒齢18年以上のシェリー・ミズナラ樽原種を中心にヴァッティングし、シェリーバットの
     古樽で後熟した逸品。700ml・43度。
山崎25年:酒齢25年以上のシェリー樽原酒のみを厳選してヴァッティング。2016年5月に開催さ
     れた第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)にて提供された。700ml・43度。
そのほか、山崎10年、山崎25年LE、山崎35年、山崎50年など限定品も多数あり。


<大山崎町(おおやまざきちょう)>

丘陵地が平野に近く迫り、そのふもとに桂川と宇治川、木津川の合流点が位置するため山崎は
古来から交通の要地であった。明智光秀を豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が破った山崎の戦いは
天王山山麓で行われた。この故事から雌雄を決することや勝負の分かれ目のことを「天王山を
迎える」(または単に天王山)と呼ぶ成句が生まれた。

大阪府の島本町山崎から京都府の大山崎町にかけての山崎の地は、名水で知られ、日本に於
ける製油発祥の地である離宮八幡宮には石清水の名の元となった湧き水があった。また山崎駅
前の妙喜庵には千利休の現存する二例の茶室作例の一つである茶室待庵(国宝)が現存する

<三角点情報>

*304.3m(十方山) 三等三角点、天王(点名) 34°54′16″N、 135°40′2″E  
                                                      
国土地理院

 

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