栂尾山・高取山 |
参考地図 (フレーム順:西〜東) |
月見山駅〜須磨離宮公園〜トンネル上〜栂尾山 274m〜 |
〜栂尾山〜横尾山〜馬の背〜東山・板宿分岐〜横尾南公園〜 |
〜横尾三丁目〜高速道下〜妙法寺〜那須与一墓〜野路山公園径合流〜荒熊神社312.8〜高取山〜白川神社〜 |
〜鷹取団地前BS〜神戸常盤大〜西代駅 |
地理院地図・電子国土Web Scale
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付属資料 |
<須磨離宮公園>
すまりきゅうこうえんは、神戸市須磨区の丘陵に広がる面積82ヘクタールの広大な 都市公園。西洋式庭園を中心とする本園と植物園からなる。 本園は月見山とよばれる景観地に位置しており、1907年(明治40年)に大谷光瑞別邸 を宮内省が買収して1914年(大正3年)に完成した旧武庫離宮(須磨離宮)である。 庭園は福羽逸人の設計で、当時建設された離宮御殿など建造物群の大半は1945年 (昭和20年)に戦災で消失した。庭園は可能な限り竣工時の状態に復元整備され昭和 42年に須磨離宮公園として神戸市に下賜された。 植物園は戦前の神戸経済を支え た旧岡崎邸の敷地と建物を1973年に神戸市が買収した。旧岡崎邸の洋館は阪神大震 災により倒壊した。本園と植物園は専用の歩道橋で接続する。 (Wikipedai抜粋) <三角点情報> *横尾山 312.0 : 二等△. 点名(須磨) 34°39′56″N、 135°6′30″E *荒熊神社境内 312.8 : 三等△. 点名(高取山) 34°40′33″N、 135°7′39″E (高取神社境内 P328) *Point 76.8 : 四等△. 点名(長田) 34°40′0″N、 135°8′29″E (国土地理院) <那須与一(なすのよいち)> 那須与一宗隆は、屋島で扇の的を射た若武者です。与一は下野(しもつけの)国(栃木 県)那須の庄の住人で、郷里の那須の庄にも墓所はありますが、須磨では晩年に与一 が北向八幡宮へお礼のため参詣し、病のためこの地で死去したと伝えられています。 この墓に参詣すると、年老いても「しもの世話にならない」との信仰があり、毎月七 日のご命日には多くの参詣者が訪れます。(京都・東山区の即成院にも墓がある) 与一は治承・寿永の乱において、源頼朝方に加わりました。屋島の戦いにて負けを認 められない平氏方は軍船に扇の的を掲げ、射落としてみよと源氏へけしかけ、射手と して選ばれたのが与一でした。 源義経に命じられ、与一は72m先にある海上を上下 左右と揺れる船上の扇の的を見事射抜き、源平両軍は、歓声を上げて与一を褒め讃え た、という伝説があり、平家物語にも記されています。 (須磨浦商店街HP) <高取山(たかとりやま)> 神戸市須磨区と長田区の区界に存在する山で標高328 m。地元民は「たかとりさん」 と称している。六甲山地の山の中では西側に位置し、六甲全山縦走路のうちの一つ。 古名は神撫山(かんなでやま)という。現在は高取山と呼ばれているが、長田区の 民話においては山全体が水没した際に大きな松に絡んだタコを捕獲したという事から 「タコ取り山」と名づけられたという説がある。また、昔には鷹が巣をかける事が あり、その鷹を捕獲する山の意味で「鷹取山」と呼ばれていたものが、江戸時代中 期以降、山麓地域への年貢の賦課の厳しさから、「鷹」を「高」に変えたなどとも 云われる。 (Wikipedai抜粋) 全国には18の高取山と17の鷹取山とが見つかりました。(カシミール3DとHP「地図案内」 ー日本の山記載の範囲、白崎 勝氏HP抜粋) |
<調査歩行 20/6/27>
須磨浦公園内の連続する階段 *例会時は回避 |
旗振山/ rollover 三角点は茶店の一角 *例会時は回避 |
高倉山 (頂の店から急な階段を下り、高倉台団地に入る)*例会時は回避 |
団地を抜けると直登の階段が340段 *例会時は回避 |
栂尾山に届く/ rollover 須磨離宮公園分岐 |
横尾山・三角点 312.0 |
岩尾根/ rollover 馬の背 |
板宿方面分岐の東山から高取山を遠望 |
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