七七頭ケ岳


参考地図 (フレーム順:北〜南)

〜急坂(平均斜度34)〜墓地〜洞寿院BS

〜尾根〜ブナの大木〜観音堂〜山頂・三角点〜

茶わん祭の館〜上丹生BS〜登山口〜

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m  (例会時は悪条件で登山口からピストン)

 

付属資料

**幻となったダム

下見の後、菅並集落の対岸に県道285があり、トンネル前に通行禁止の標識がある。立派な
舗道になぜ??疑問、情報を探すとダム建設が中止となった事が判明。 この上流には鷲見、
田戸、川並などの集落があった。離村した人々の心情は如何ばかりだったろうか?!(19/7/14)

余呉町は、滋賀県北部の農林業の山村である。国道365号線は木之本から栃ノ木峠を越えて
越前国の板取、今庄へ抜ける北国街道である。 その東に高時川に沿う村道中河内木之本線
は、栃ノ木峠までの脇街道であった。 この脇街道が通る丹生谷には余呉型と呼ばれている
民家の分布域である。
余呉型民家は一般的に妻入りで、屋根は茅葺の入母屋、間取りは手前に土間、その奥に
「ニュウジ」と呼ばれる土間、さらに奥にネマ、ザシキという配置である。ニュウジは土間の上に
ムシロなどを敷き囲炉裏を囲む部屋であったという。

国道365号線から東へ折れ、村道を走ると菅並という余呉型民家が妻面を同一方向に
向けた集落がある。さらに進むと、道は細くなり高時川沿いの林道のようになってくる。
ここから先はダム計画のため一般車通行止めとなる。その先に廃村となった鷲見、針川、
半明などの集落がある。 (「余呉町の廃村歩き」サイト抜粋)

*丹生ダム(にうダム)経緯

賀県長浜市余呉町小原地先、一級河川・淀川水系姉川右支高時川に計画が進められていた
ダムである。旧名は高時川ダム。 独立行政法人水資源機構が事業を手掛けるダムで、姉川
及び琵琶湖、さらに淀川の治水と京阪神地域への上水道供給を目的とした多目的ダムとし
て計画された。堤高145.0m、総貯水容量1億5000万トンと完成すれば日本屈指の規模を誇る
ロックフィルダムとなる。1980年(昭和55年)より事業が着手されたが、後述する諸事情に
より、遂にダム本体の工事に着手されなかった。日本の長期化ダム事業の一つであった。

淀川水系は「淀川水系改修基本計画」とそれに続く「淀川水系工事実施基本計画」といった
治水事業、「淀川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)の利水事業という2本立てで
総合開発が行われ、これと別立てで「琵琶湖総合開発事業」が展開されている。関西圏の
人口増加により水不足に悩む琵琶湖沿岸の新規利水と高時川・姉川流域の洪水調節を万全に
する為、当時の建設省近畿地方建設局によって治水・利水を目的に1980年(昭和55年)に
計画されたのが丹生ダムである。計画当時は「高時川ダム」という名称であった。

1984年(昭和59年)1月に初の地元説明会が開催され、同年6月14日にダム建設計画の実地
調査協定に調印した。そして、1988年(昭和63年)度予算に事業費約4億円を計上が計上され
て事業が本格的に開始され、同年12月26日に環境アセスメント準備書の縦覧が開始された。

1993年(平成5年)8月5日に補償基準が決着し、補償協定書に調印した。
1994年(平成6年)4月には「水資源開発公団」(現・水資源機構)に事業主体を移管した。
また、1995年(平成7年)9月には「活断層密集の可能性」から「地震誘発の恐れ」があると
の問題点も指摘された。 しかし、同年11月1日に水没予定地区で離村記念式、同年月16日に
移住記念式、1996年(平成8年)8月5日に水没予定地からの墓の移転・合祭の法要が行われ
るなど集落の移転作業が進められた。

ところが、2003年(平成15年)7月に「淀川水系流域委員会」琵琶湖部会で当ダムによる
琵琶湖の水位低下を防止する効果を否定する意見が多数派を占めて、事業の有効性への疑問
が浮上。 さらに、2000年(平成12年)以降、琵琶湖下流の京阪神地域で水需要が低下し、
京都府の水利権放棄など大口利水者の事業撤退が続き、水利の面での有用性も消滅した。

そのため、2005年(平成17年)12月に「淀川水系流域委員会」が「自然環境の調査不十分」
なことなどを理由として建設計画の中止を求める意見書を採択した。 2014年(平成26年)1月
16日に、ダム建設を中止する方針が決定された。それによると、利水機能を担わない治水ダム
として建設した場合、246億〜339億円の建設コストに対し、一方の河川整備なら80億円程度で
済むなどとして「ダムは有利でない」と結論づけた為だという。なお国が計画したダムのうち、
住民の立ち退き移転後に中止になったのは初めてだという。また調査や用地取得、周辺工事等
で計567億円が費やされていた。

ウィキペディア(Wikipedia)抜粋

 

<調査歩行 19/7/13>

登山口

ブナの大木(山頂手前)

山頂の観音堂(登山口から105分)

倒木の中に三角点 693.1

下山口の墓地横(山頂から70分)

始発のバス停

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