参考情報 <石田三成 その人物像とは> 滋賀県広報課HP抜粋
(永禄3年(1560)生〜慶長5年10月(1600年11月/41歳没)
まっすぐに生き続けた武将、石田三成。現在の滋賀県長浜市に生まれた三成は、当時長浜城主
だった豊臣秀吉に気に入られ部下となります。織田信長が本能寺の変で亡くなったあと、天下人
となった秀吉のもとで三成は、ついには五奉行と呼ばれる重臣に登りつめます。 戦乱を治め、
世の中の平和を実現しようと太閤検地など多くの政策に携わったといわれ、制度を整えていった
時代の立役者でした。その心は、旗印に掲げた「大一大万大吉」にも表れていました。
秀吉が亡くなると、徳川家康が次の天下人になろうと動き出しますが、豊臣家を支え続けた三成
は、忠義の心から家康の天下取りを阻止するために立ち上がり戦いを挑みます。これが有名な
「関ヶ原の戦い」です。 最期は敗軍の将として処刑されましたが、三成の生き方には強い信念
が感じられます。それは「相手を思いやる心」と「自分のやり方を貫くこと」。
三成の叶えたかった夢は何だったのでしょう。三成の魂は今の時代にも受け継がれています。
現代に残る三成のエピソードを辿ってみましょう;
*「大一大万大吉」石田三成が用いたと伝わるこのマーク。(だいいち・だいまん・だいきち)と
読み、その意味は「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)
になれる」というもの。ラグビーの合言葉“One
for all ,all for one.”にも通じるものがあり
ますね。三成が理想としたのは、そんなチームワークを大切にした世の中だったと考えられます。
しかしこの印は、江戸時代前期の史料には見ることができません。一説によると関ヶ原の戦いで
勝利し天下を治めた徳川家康が、敗者・石田三成を悪者として貶めるために情報を操作したの
ではないかと。「歴史は勝者が作る」と言われますが、石田三成はまさに徳川幕府の歴史によっ
て真実を貶められた武将だったのかもしれません。
*「三献の茶」 初対面の相手に完璧なおもてなしをするのはなかなか難しいもの。しかし三成は
初対面の秀吉の心を掴み、家来にしたいと思わせるほどのおもてなしを披露していました。
長浜城主になって間もない秀吉が鷹狩の帰りに、当時三成が預けられていたとあるお寺に立寄り
ました。のどが渇いていた秀吉が、出てきた小姓さんにお茶を出してくれるように頼むと、小姓さ
んは大きめの茶碗に温めのお茶を入れて出しました。すぐに飲み干してしまった秀吉はもう一杯
頼みます。すると今度は茶碗半分ほどに先ほどよりもやや熱いお茶が出てきました。秀吉が気に
なってさらにもう一杯頼むと、出てきたのは小さな茶碗に入った熱いお茶。 渇いた口でも飲みや
すいぬるめのお茶からはじめ、徐々に熱くしたものを出す。飲む相手を思いやったおもてなしをし
たこの小姓さんこそが三成その人だったのです。 こうして、三成は秀吉に気に入られて長浜城に
連れ帰られ、秀吉のもとで武将としての人生を歩み始めました。
*名士・嶋左近を部下に君臣禄を分かつ。 三成に仕えた部下として一番有名なのが嶋左近です。
のちに「三成に過ぎたるものが2つあり、嶋の左近と佐和山の城」と詠われるほどの名士だったと
される嶋左近を部下にした方法は、とても大胆なものでした。三成が秀吉から4万石の領地を新た
に与えられた時、秀吉は三成に、何人家来を増やしたか尋ねました。「一人です」と三成は答え
ました。 なぜ4万石もの領地を与えられて一人しか家来が増えなかったのかと秀吉が疑問に思い、
誰をどれだけの禄高で召し抱えたか尋ねたら、三成の口から驚きの事実が語られます。 なんと
三成は嶋左近に領地の半分2万石を与えていたのです。「主君と家臣の禄高が同じとは聞いた事
がない、だがそうでもなければ左近ほどの名士が部下にはなるまい。」と秀吉は納得したと云う。
他のエピソード;
智将・三成出世の始まり「賤ヶ岳の戦い」: 秀吉にも遠慮しない物言い「忍城攻め」
同志を想う心遣い「大谷吉継との絆」;三成が作った天下の基準
「検地尺」 ;
死ぬ間際にも信念を貫いた 「三成と干し柿」
<三角点情報> 国土地理院
*横山△312.0m 三等三角点、点名(堀部) 35°23′34″N 136°20′3″E
<バイカモ> Wikipedia Ext.
梅花藻は、キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草の水草で、イチョウバイカモの変種のひとつ。
ウメバチモという別名や、カワマツ、ミズヒジキ、ナビキモなどの地方名でもよばれる。ただし
母変種のイチョウバイカモを広義のバイカモとして扱うこともある。 なおバイカモ類という時
には、バイカモ亜属の各種のことを指す。
和名は、花が梅花に似ているのでこの名がある。 冷涼で流れのある清流中に生育し、初夏から
初秋にかけてウメの花のような白い花を水中につける。 静水では育たず、水槽での生育も困難。
山菜として食用にもなる。
以上
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