鏡 山

 

参考地図 (フレーム順:北〜南)

<例会では回避> −鏡神社−石造五重塔−篠原駅

〜P228〜星ケ峰〜道の駅竜王鏡ノ里

〜龍王宮〜山頂〜P228〜

BS−登山口〜鳴谷池〜雲冠寺跡〜龍王宮〜

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

参考情報

<鏡山>                           竜王町観光協会HP抜粋

古今集にも詠われた西の竜王山、緑豊かな美しい鏡山は、鏡の街道を通る人々に心の安らぎを
与えてきました。 遠く万葉の昔より、数多くの歌人に愛され歌枕として詠まれてきた「鏡山」
は和歌、俳句、漢詩に百余首を数えます。その内の有名な歌をご紹介しましょう。

「鏡山 君に心や うつるらむ いそぎたゝれぬ 旅衣かな」 藤原定家
「吾妹子(わぎもこ)が 鏡の山の もみぢ葉の うつるときにぞ 物はかなしき」 大伴家持

*雲冠寺(うんかんじ)跡
鏡山の山頂近くには聖徳太子26歳の時(600)に自ら観音像を彫られ創建された雲冠寺跡があり
ます。嵯峨天皇(809〜823)の時、伝教大師(最澄)(767〜822)に勅旨が下り再建。往時は堂塔
僧坊五堂、精舎1000坊が立ち並び朝夕には梵鐘が響き全山にこだまして、さながら釈尊の祇園
精舎を偲ばせたといわれます。また山頂の竜王宮には、雨の神・水の神ともいわれる八大竜王
の一つ摩耶斯竜神(まなしりゅうじん)がまつられ霊山、竜王山として有名です。詩興豊かな
この秀峯は和歌、俳句、漢詩に百余首と幾多墨客(ぼっかく)の歌枕となり近江の名山に数え
られた歴史と文化の里山です。

<鏡神社>

このあたりは東山道、中山道(道8号線付近)の宿場、「鏡の宿」として栄えました。 祭神の
天日槍(あめのひぼこ)は金工、製陶技術を教えた新羅王子と伝えられています。 この地に
製陶業を興し、村の発展に努めたので祖神として祀られ、崇敬・護持されてきました。
本殿は南北朝時代の建築といわれ、重要文化財に指定されています。

*鏡の宿「義経元服ものがたり」
鏡の里は旧義経街道といわれた「東山道」八十六の駅(うまや)のひとつ「鏡の宿」に位置し、
古来より多くの旅人たちの休、泊の宿場でありました。 平安後期、平治の乱で源氏が敗れ、
平氏が台頭、世はまさに平家一門の栄華を極めた時代でございました。
しかし、密かに平家の滅亡を夢み、京の鞍馬でただひたすら剣術の稽古に励む少年がおりま
した。その名は遮那王、幼名を牛若丸と申します。機熟し、奥州下向の途中ここ「鏡の宿」
にて烏帽子を着け、ただひとりで元服したと言われております。
今もこの地には「元服池」や、元服の時に使った盥の底、烏帽子を掛けたとされる「烏帽子
掛松」等が残っております。 京より奥州平泉へ向かう途中で鏡の宿に泊まり、この池の水
で前髪を落として元服したと伝えられ、謡曲「烏帽子折」(えぼしおり)でも有名です。

<近江八幡市安養寺町の石造五重塔>         
”新近江名所図会”HP抜粋

国道477号線が高台にある上野町の集落を抜けて左(南東)へ屈曲しますが、その屈曲部分、
高台の麓に位置します。 高さ4.18mを測る花崗岩製の塔で、国の重要文化財に指定されて
います。 台石には格座間の中に三茎蓮を浮き彫りして、軸石各面には肉厚の仏座像を配して
います。相輪の請花や伏鉢と九輪の最下段部が欠損していているのは、実に惜しく思われます。
軸石南面に寛元4年(1246)と刻銘されていますので、鎌倉時代中頃に造立されたものと判ります。
無名のものではありますが、石塔が多数造立された鎌倉時代の近江を代表するような、堂々と
した立派な五重塔です。
この石造五重塔は、ここから南東約700mにかつてあったとされる天台宗寺院「安養寺」の遺品
ともされています。安養寺は元亀2年(1571)に織田信長の兵火で焼かれたとされ、現在上野町に
ある荘厳寺が所蔵する3体の仏像(重要指定)も、同様に元々安養寺にあったものとされています。


<三角点情報>

*鏡山 384.5 二等三角点、点名(鏡山)  35°4' 17 ″ N 136°5′10″E

 

<下山口確認 23/8/30>

地図では星ケ峰から複数の下り路があり、確認した
星ケ峰への標
西光寺遺跡・石灯篭 / rollover 宝篋印塔
道の駅かがみの里に下山できる
国道8号線を挟んで鏡神社 (義経がこの地で元服したとある)
国道8号沿線 ”鏡の宿”標のみ
石造り五重塔 (道路下の田圃の隅にある、篠原駅迄10分)

Hi-Trek tan-u Hi-Trek tan-u  ハイトレック淡悠 Hi-Trek tan-u Hi-Trek tan-u