空木岳・木曽駒ケ岳への途

2001/9
山歩楽会・北摂パーティー                  中山 傳 : 上田 昌 : 崎田信義

 
 秋の連休を利用し百名山の二峰を踏破する予定で、三人で信州・駒ヶ根に向かった。
中央アルプスと言う名前、木曽谷と伊那谷を分かつ主脈だと言う程度の知識はあった。
 予定コースは駒ヶ根市の菅ノ台に車を預け、初日に空木岳(2864m)、翌日に尾根を
縦走して木曽駒ケ岳(2956m)に立つ計画だ。


<池山尾根1500mの登り>

 空木までの登りは高低差が2000メートルもあるので、早朝にタクシーを使い、途中ま
で運んでもらう事にした。 前日の雨で濡れた葉っぱから小雨が落ちる中を歩き始めた。
朝の七時は誰もいないと想像していたが、単独行も含めて3パーテイーに出遭った。
 高さで500m程度を一気に昇り、時間の余裕もできた。 しかしひたすら上へ、上へと
歩を進めるだけだった。

<深山の香リ>
 途中から小雨も止み、北の方向に稜線と宝剣岳の尖がりが見え隠れし始めた。 もう
2000mの高度に到達している様子だ。 針葉樹の樅やつがの落ち葉が何層にも重なっ
た柔らかい路を踏み辿った。 生きた樹や葉が放つ芳香と朽ちた枝葉の匂いがミックス
し、葉巻タバコにも勝る独特の匂いが立ち込めている。 深山の香はどこでも似たような
匂いがする。 上田さんがコケモモの実をみつけて口に入れる、やや渋いが秋山の味が
舌を刺す。 茸も沢山あるが見分けがつかず採る事は出来なかった。

<南アルプス>
 空木岳に通じる尾根が見える所まで進んだ。 分岐点で昼食を摂る事にしたら、目の前
に南アルプスが広がっていて、雲を下にした雄大でなが〜い主峰が見渡せた。 塩見岳
や赤石岳などの名前が浮かぶが、どれがどれだか判らない。 弁当の美味しさも格別で
アッという間に食べ終わり、上空のガスも晴れて澄んだ青空が迎えてくれた。

<空木岳>
 いよいよ空木までの尾根コースに入った、駒石と言う巨大な花崗岩の奇石や風化した
ザラザラの路を登る。 頂上が見えない、尾根が弧を描くように連なり、高くなった太陽が
眩しく、頂上奥に押し上げているのか。
 疲労を覚える2時頃に漸く頂上に到達した。ここも岩の風化でザラついた頂になって
いる。 東西南北どちらにも山並がある、南駒ケ岳の先に恵那山が、西には先月登った
御嶽山が、北には明日のコースがどっしりと座っている。
 10名位が同じ時刻に居合わせる事となった、中の一人は朝に宝剣山荘を発って尾根を
縦走して来たよし、今日中に下山するか否か迷っていると言う。 なんとも韋駄天クライ
マーだ、我々が明日逆に進むルートだ。
 山荘を目指して下りルートを進むが、岩のピークとざらついた路に注意を配りながらゆ
っくりと辿る。 下り路は危ないので、慎重だ。

<木曽殿山荘>
 200m上から見た小屋がだんだん大きくなり、16時に着いた。 既に定員オーバーの
150名近い中高年で、ごった返している。 上松町のイベントも重なっているとか、二階
の荷物棚も満杯状態、ぎりぎりに着いた我々は場所の確保が第一だった。

 近くに木曽義仲の力水とやらがあり、冷たくて美味しい湧き水を汲み、高級スコッチの
水割りで山の夕べを迎えた。 ”オールドパー”を携帯した上田さんは早くも紅潮気味で
大きな夕陽がさらに顔を照らした。
山荘は四年前に建て替えられただけに、食堂はこの高地(2500m)にしてはスマートで
夕食は炊き込みご飯、竹輪やゆで卵のオデンもついてきた。

大勢の登山客で二階の広間は狭くなり、薄い一人寝の布団に、二人で寝てくれと言う。
各パーテイーは人数も不揃いだから、知らない者同士が一緒に横たわる状態である。
ランプを点けて外に出るが、足や腕を踏みつける人も出る。 ”同衾の仲”をとおり越して
雑魚寝の状態になり、いつしか”いびき”も止んでしまった。
 真夜中に外にでると天の川が真上を覆い、頭上には特徴のある三つ☆の「オリオン」
が細い光リを放っている、冬の星座が近くに越してきたようだ。 眠れない夜が過ぎた。

(南アルプス/塩見岳を望む)

(駒石と空木岳を望む)


<大尾根>

 翌23日は午前五時半から食事だ、宿泊したほとんどの人が空木岳を目指している。
逆に駒ケ岳を目指すパーティーは我々3人組の他には6−7人くらいしか見当たらない。
 ご来光を見る為に四時に出発する人もいた、山荘が鞍部に在り、空木の山裾が邪魔
した格好だ。 六時前吾がパーティーも出発し、霜柱を踏んで最初の急登に向かう。
 朝日が昇り明るくなった尾根、快晴の一日が始った。  西にはあの大きな御嶽山、東
には小さく富士山と露払いみたいな南アルプス連峰が手の届くような空間にある。尾根
に登って同じ目線になり、空気も澄んでいるからだろうか。 今日一日北と南のアルプス
に見守られて歩くことになる、日本晴れの下で。  思わず三人から歓喜の雄叫び!

 最初に立った頂上が東川岳で、ここから北に向かって尾根筋が見える、目指す宝剣岳
木曽駒までが一望の下にある。 しかし尾根の上下行程までは判らず、後になっていや
と云うほどののアップダウンを迎えた。
 熊沢岳の近くで外人の登山者に出くわした、方向は逆くだがこんな所に来るとは珍しい
パーティーだ、英語のガイドブックを片手に歩いていた。   片言の日本語で挨拶をして、
健闘を祈った。 桧尾岳(2728m)には沢山の人が集まっていた、近くの小屋に泊まっ
た人が南を目指して休憩している。 ここでも我々と同じ向きの人は少ない。

 次々に下り上りを繰り返す行程が始った、下の鞍部が見えているが、200mも下り、
また200m登ると言った具合だ。 石ころ路がほとんどだが、這い松の中を跨ぎながら
交互に行き交う所もある。  七下り、八上りとも云えるアップダウンに少々うんざりし、
小休止が多くなり予定の時間から遅れてきた。 寝不足、体力不足が影響して諦めに
変わる。 尾根の縦走の勘違い、無理が効かない年齢、臨機応変に目標を変更できる
柔軟さ....等と理屈を付けて目標を変更した。


<宝剣のナイフ・リッジ>
 なだらかに登る大きな尾根の先に宝剣岳、駒ヶ岳が現れた。 ついにゴールラインに
到達したと安堵する。  最終判断になる極楽平で地図を広げ、駒ヶ岳まで進んで下山
出来るか時間と距離を推計した。 午後2時、山荘を発って8時間が過ぎている。 直ぐ
に出た結論はここから宝剣岳をピストンして、下のケーブル山頂駅に降りる案だった。
 ついに駒ヶ岳頂上は断念して次の機会にまわした。 これから険しい岩峰を踏破して
3時間余を掛けると暗くなりそうだったし、温泉に浸かる時間も欲しかった。

 空身になって絶壁の岩場に取付いた、三点を支点に腕を、脚を伸ばして登る。 西方
は谷が1000m位えぐれ、ケーブルの山頂駅も300m下に見える。 二度、三度直登の
岩峰を上下し、鎖と鉄梯子の”路”を進む。 大きな岩の下をくぐって頂点の絶壁岩着く。
身を立てるには腕力とバランスが必要だ、丸みのある1平米位の岩の頂点に手を指しの
べて、2931mピークの感触に満足する。 360度の展望と日本晴れに今日のゴール
を見つけた。

 昨年登った北穂高から涸沢岳の雨のコースを思い出していた。 雨中に脚を進め乍ら
絶壁を横に這い、狭い岩場に尻をつきながら辿った岩道。 同じ様な尖った岩峰が、ここ
にもある。  悪天候や険しさは穂高に較べようもないが、名前どおりの凄みがあった。

(西側には北アルプスの御嶽山)

(宝剣岳と木曾駒ケ岳を望む)

  
<其処にある駒岳>
 ふたたび極楽平に戻り下に見えるケーブル山頂駅を目指して下山する。 時刻は4時
になり温泉にでも浸かって、6時には高速のインターへと予定した。   二日間の好天と
三人の無事を土産にして。

 振返ればすぐ其処に駒ケ岳が見えるし、その先には北アルプスの連峰がある。 あと
数キロ先の頂上迄には、少しの力、時間が必要だが今回はこれにて終了とした。

<また来る時に>  
 冬に向かって山は姿を直していくのだろう、紅葉も迎えるだろうし、雪の下から新芽も出
て来ることだろう。   この時空を再び訪れる時にも、好天と安全で微笑んで欲しいものだ。

(今回の登山の自己採点: 企画70点、チームワーク100点、天候200点)

(追記)連休でケーブルは混雑し、2時間待ち。 温泉もカットして、高速に入ったのは、
午後8時前でした。 吹田インターに23時20分、お疲れさんでした。

 

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