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2002年10月
中山 傳
上田 昌
崎田 信義
南アルプス 北岳・間ノ岳に登る
強い台風21号が1日に関東地方に上陸し、送電線の鉄塔が曲がる等の被害がでた。 | |||||||
9月末から天気予報に注目し、予定を一日繰り上げて4日に出発した。甲府地方の天気 | |||||||
予報は4日から三日間が晴れで、7日には雨とあった。 | |||||||
初日(10月4日 晴れ) | |||||||
秋の中央高速道を甲府昭和で降り、ガソリンスタンドで給油し、道順を確かめる。大凡 | |||||||
のルートはネットで情報収集していたが、交差点や標識などの現地情報を仕入れた。 | |||||||
芦安村に入った辺りから広い河原、泥色の水が目に入る。夜叉神峠の登山口(1380m) | |||||||
には多くの車が並んでいる、ここから鳳凰三山へアプローチするのだろう。 | |||||||
険しい山を縫ってトンネルをいくつも過ぎる、所々工事中の場所もある。山崩れを防ぐ | |||||||
ネットやコンクリ−ト壁の保守をしている。旧名野呂川林道が開通して40年目の今年は | |||||||
記念式典があったとか。 芦倉から峠を抜け、広河原までの難工事を地元の女性も加 | |||||||
わり完工したとある。 昭和天皇も激励に訪れたそうで、当時の現場写真がアルペン | |||||||
プラザに架かっている。 人々の汗の結晶が、今日容易に車で進入できる道を切開い | |||||||
てくれたのだと感慨深く思った。(昭和55(1980)年には長野県長谷村迄延び、南アル | |||||||
プス林道となった。また来年4月には6町村が合併し、南アルプス市が誕生の予定) | |||||||
初日は広河原山荘で焼肉やワインをいただき20人弱の登山者と一緒に泊まった。 | |||||||
二日目(10月5日 晴れ) | |||||||
いよいよ今日は北岳を目指す一日だ、6時前にご飯を食べて6時15分に出発した。 | |||||||
大樺沢に沿って歩き始める、頂上までは、高度差1600mをひたすら上ることになる。 | |||||||
途中に大きく崩壊した所があり、沢の右-左-右岸と迂回する。 紅葉が始まり黄色い | |||||||
ダテカンバや紅いナナカマドが足をとめさせてくれる。 | |||||||
二時間余で二俣に着く、ここからは右俣コースを辿り、稜線に上がる予定だ。初め | |||||||
のポイントをやや早めに通過し、安堵する。 一時間毎に小休止を取りながら三人の | |||||||
歩調を整える。 | |||||||
初めて見上げる北岳頂上付近は大きな岩盤、特に東側のバットレスは迫力を持った | |||||||
剥き出しの岩肌である。 その下のいくつかのコブは一様に黄色く色づいている。 | |||||||
なんともすばらしい景観だ。 | |||||||
ここから稜線に出るまで2時間30分と地図には記してある。 途中で何度も赤や黄色 | |||||||
の絵を写真に収めながらひたすら登る。 標高2300mを超え、頭がやや重く感じる、 | |||||||
次第に紅葉が無くなりハイマツが多くなる。 | |||||||
突然視界が開け岩尾根にでる、目の前に大きな仙丈岳が目いっぱいに現れた。 | |||||||
更に右手北方向に、白く輝く甲斐駒ケ岳の頂上が目に入る。 左手には北岳頂上が | |||||||
望める。 東に鳳凰三山、南東遥かに富士山などなど山梨県の代表的な山々がある。 | |||||||
360度の眺望を満喫し、昼前の小休止となった。 | |||||||
更に30分ほど登り、3000mにある肩ノ小屋に到着した。 昼食する事にして、丸太 | |||||||
のテーブルを囲む。 快晴の下には山並みと渓谷しか目に入らない、おにぎりもお茶も | |||||||
美味しかった。 | |||||||
同日の例会で比良山を歩いている仲間に携帯電話をかける、文明の利器は500Km | |||||||
くらい離れた山の様子をリアルタイムで互いに知らせてくれた。 | |||||||
50分ほど昼食休憩をして、いよいよ岩路を登り始める。 頂上を見ると既に多くの人が | |||||||
動いている。 険しくは無いが大きな岩盤の縁を一歩一歩あるいているようだ。 | |||||||
ついに念願の北岳山頂にたどり着く、6時間余をひたすら登り、登ってきた。 一時間 | |||||||
歩いて10分休むペースを守って到達した、全方位晴れ晴れで、三人に笑顔がこぼれる。 | |||||||
富士山や甲斐駒・仙丈など、どの山も歓迎しているかのようだった。(13:10頂上着) | |||||||
北岳山荘小屋に早めに到着し、同宿の登山者と歓談が始まった。 浜松、名古屋の | |||||||
パーティーとはお酒も入って、互いの山の会の様子や南アルプスの経験談に話が弾む。 | |||||||
わが「山歩楽会」会長夫妻の尽力を話すと皆が驚いていた、HPも紹介し交流が広がる。 | |||||||
近くに花の保護区域があるが、季節が過ぎて残念ながら高山植物の花は一輪も見る | |||||||
事が出来なかった。 しかし夜は天空からあふれ落ちそうな星を眺めることができた。 | |||||||
流れ星が何個も何個も横切ってゆく、一分毎にニ、三つは見えた。 下界では経験でき | |||||||
ない夜空を満喫できた。 |
北岳山頂に立つ (2002/10/5 pm13:10)
北岳の後ろに甲斐駒ケ岳、遥かに八ヶ岳 (2002/10/6 am7:25 間ノ岳より)
三日目(10月6日 晴れのち曇り) | |||||||
早朝5時半の食事を摂って間ノ岳(アイノダケ)往復に向かう。 一個のザックを交代で | |||||||
背負うので空身にちかい。 ペースも早くなるが、岩径は谷まで500,600mもあろうか | |||||||
ザックリとガレが続いている。 寒いので(中白根山で気温3℃)気は張り詰めている。 | |||||||
小屋から90分、目的の間ノ岳に着いた。 富士山が雲海の上に姿を浮かべている。 | |||||||
太陽とは逆光の位置にあるので、青いシルエットがいっそう端正に見える。 | |||||||
山頂は広くて岩ばかりの尾根筋だ。 標高日本第四位を誇るこの山は、奥まった所に | |||||||
あり、容易に人を近づけない。 早朝のせいもあり、寂しい感じがした。 | |||||||
わがパーティーの足跡も今回はここで終わりとなる。 白峰(シラネ)三山のあと一つ、 | |||||||
農鳥岳には次の機会に登ることにして、孤高の間ノ岳を後にした。 | |||||||
小屋に戻りいよいよ下山の準備をする。 北岳山荘は外のトイレも水洗で小屋の人が | |||||||
便器の補修もしていた。 思わず”ご苦労さん”の声をかけ僅かなチップを入れた。 | |||||||
小屋を発って北に向かう。 北岳コースから分かれ、八本歯のコルから、急降下が始 | |||||||
まる。 北岳頂上の東側はバットレスと呼ぶ剥き出しの岩壁があり、数名が岩に取り付 | |||||||
いている。 | |||||||
このバットレスは大岩壁でロッククライマーのメッカでもあり、北岳の象徴とも言える。 | |||||||
大凡500メートル以上に及ぶ岩肌は見るだけでも怖い場所である。 ロープ一本で登る | |||||||
には余程の集中力が必要だろう。 真似しようもないが山頂を極める感激は同じだろう。 | |||||||
コルから一時間、ジグザグの岩路を下り、小さくなった雪渓を右手にやり過ごし二俣に | |||||||
着く。 昨日ここから右俣を上った分岐点だ、小さな渓流の側でコンロを付けて、ラーメン | |||||||
を食べる。 上田さんの希望で、中山さんの奥さんが刻んだニラをたっぷりと入れて。 | |||||||
周りには10人程が同じく昼食している、みな帰り途なのだろう、どの顔にも満足感が | |||||||
みれる。 | |||||||
広河原迄は大樺沢を昨日と逆に下る、そして初日泊まった広河原山荘に到着。 | |||||||
三人一緒に吊り橋を渡って無事に登頂・下山を果たした。 (10月6日pm2:20) | |||||||
帰途に芦安村営の温泉で疲れを流し、大阪目指してに高速に入る。 午後から頂上 | |||||||
付近は霧が降りていたが、名古屋の手前辺りから雨に遭った。 | |||||||
この二日間、山頂や尾根筋では天候に恵まれ、快晴の下の北岳踏破となった。 | |||||||
朝の雲海に浮かぶ富士山(2002/10/6 am6:25 中白根山より)
間ノ岳山頂 3189m(2002/10/6 am7:30)
北岳東面のバットレス (2002/10/6 am10:45)
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