参考情報

<橿原市 かしはらし>        Source: Wikipedia抜粋


奈良県中部の市。総人口約12万人と奈良市に次ぐ県下第二の都市でもある。市名は九州
宮崎県から渡ってきた神武天皇が磐余(いわれ)の地において磯城の首長の兄磯城(えしき)
を破り、饒速日命も天津瑞を献じて仕えることとなり、神武天皇即位紀元辛酉の年の春
正月の庚辰の朔日に畝傍山東南「橿原の宮」に即位し建国したという伝承に由来する。

市章の金鵄は、神武天皇の弓弭(ゆはず・弓の端)に止まって光り輝き、長髄彦の兵を追い
払った鳶から意匠された。市内には持統天皇が遷都した藤原京の遺跡もあり、神話・伝説
と歴史学の双方で「日本」の始まりの舞台とされる。 奈良盆地の南部に位置し、市域の
ほとんどは平坦地であるが、畝傍山・天香久山・耳成山の大和三山が優美な姿を見せる。

<貝吹山 かいぶきやま(貝吹山城址)>

橿原市との境目にあり標高は210m。山頂には麓の人々が雨乞いをした「牛頭(こず)天王
の塚」と呼ばれる直径約3mの円墳があり、南北朝時代に越智氏の山城が塚の上に築か
れた。山城は元々、越智居城の詰め城であったが、後に本城となって高取城を詰め城に
するまで発展した。貝吹の名はホラ貝を吹き、敵襲を知らせたことに由来。

<益田岩船 ますだのいわふね>

橿原市白橿町にある石造物。奈良県指定史跡に指定されている。亀石や酒船石などと並
ぶ飛鳥の石造物の一つで、その中でも最大のものである。白橿南小の西の丘陵(岩船山)
頂上付近の斜面にある。東西約11m、南北約8m、高さ約4.7m(北)の台形状の硬質の石英
閃緑岩で、東西の側面はほぼ垂直に切り立っている。上部から側面にかけ幅1.6mの溝が
東西に掘られている。この溝に1辺1.6mの方形の穴が、1.4mの間隔を開けて二つくり抜か
れている。岩の重さは約160tから500〜600tなど諸説あり、かつては他から運ばれて来た
という説もあったが、現在では最初から今の場所にあったと考えられている。

<牽牛子塚古墳 けんごしづかこふん>       Source: 明日香村HP抜粋

牽牛子塚古墳は明日香村大字越に所在する古墳で、別名「御前塚」「あさがお塚古墳」
と呼ばれている。 昭和53年には環境整備事業の一環として発掘調査が実施されて
います。 墳丘は対角長18.5m高さ約4mの八角形墳で版築によって築かれています。
埋葬施設は二上山の凝灰角礫岩の巨石を刳り貫いた横口式石槨で中央に間仕切り壁
を有しています。 *牽牛子とはアサガオのこと。
飛鳥の刳り貫き横口式石槨墳については益田岩船や鬼の俎・雪隠古墳があり、牽牛
子塚古墳と益田岩船は巨石を刳り貫いたタイプで、鬼の俎・雪隠古墳(寝屋川市)で
は床石と蓋石が別々に構成されています。

出土遺物については夾紵棺片や七宝亀甲形座金具、ガラス玉等があり、夾紵棺の一部
や閉塞石の内扉は明日香村埋蔵文化財展示室で常設展示されています。築造年代に
ついては出土遺物等から7世紀後半頃と考えられ、被葬者については古墳の立地や
歯牙等から斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考える説が有力です。

*ユネスコの世界文化遺産に2026年7月に登録の「
飛鳥・藤原の宮都」;世界遺産構成
資産19件は、宮殿跡、寺院跡、古墳、庭園、祭祀施設など多様な遺跡で構成され、古代
日本の中央集権国家成立の過程を証明する貴重な文化遺産です。飛鳥宮跡、飛鳥寺跡
石舞台古墳や牽牛子塚古墳などもその一つです。


 
以上