仲間と登った北穂高 |
Mt.N-HOTAKA 2001年8月 |
岡崎 正晴 |
昨年9月台風の中北穂高に登って景色も見られず、ただ雨と
風の中ひたすら歩いて、とうとう涸沢岳の登り口で中止、道なき 所カールから涸れ沢小屋に着いた時、日もどっぷり暮れた。 それから一年越しの北穂高である。 六人の仲間で昨年の尾瀬に続き今年はいよいよ北穂高、8月 11日夜、9時に志紀駅で待合わせて、9時30分全員そろって出発。 名阪、中央道から松本インターまで途中のトラブルもなく順調に 進む。158号に入り沢渡駐車場に着く、あいにくどこも満車、近く の空いている所に並ぶ。雨もポツリポツリ、靄も発生、とりあえず 仮眠のはずが、外でワイワイ、ガヤガヤとうるさい。 車もブンブン 通り一番バスが発車、タクシーも動き出して我々も朝食のおにぎ りをほうばりながら準備をした。 駐車場にも止められ、ここで全ベて を備えてタクシーで上高地バスターミナルに向かう。 早朝5時過ぎだと言うのにこんなに人が多くて、入山書を書き トイレを済ませていざ出発。 雨も止んで一路目指すは涸沢小屋 途中明神館、徳沢と休憩して横尾に着く。 (余談になるが、ここら ではいずれも男子トイレが列を作って20-30分もかかる、初めての 事でびっくり。何でと思うと、女子の気持も判る気がした) 空模様も怪しく急いで発ち本谷橋で通食を取る。 せせらぎの 水の音を聞きながら食べる、空気も良し、美味しい。 しかし顔に 冷たいものがポツリ、ポツリいつも雨に遭う。 レインスーツを着る。 登りも急になってきたが、しばらく歩くとさすがに暑くなり、脱ぐ。 小雨になる。どうやら雲が切れて雨が止んだ。 ただ涸沢小屋を目指すが睡眠不足のせいか、体が重たい。 やがて左から落ちてくるSガレの押出しに出る、足元に雪渓、足が が滑る、気をつけて登る。 ここらで一息入れ、上を見ると前穂 や奥穂、北穂が姿を現し、涸れ沢ヒュッテがモレーンの上に見える。 いつまでも見惚れていられずまた登りだした、先が長く感じる。 やがて石段の登りになりモレーン下の分岐に出る。ここを右に行き ナナカマドの中を抜けると、キャンプ場の中を一本の道がスーッと 上に伸びている。その先に涸沢小屋がある、もうひと頑張りだ。 |
(六人パーティー) |
(涸沢の大カール) |
全員到着、小屋への受付を済ますと2350mのテラスで、まさかと
思うけど今年から生ジョッキがあった。 全員でカンパイ、うまい、 うまい!!これぞ山で飲める幸せ、下界とは一味違うぞ。 涸沢は我国最大の氷河圏谷で、前のカールに雪渓があり、奥穂 岳、穂高岳、涸沢岳の山々が連なるこの絶景を見て飲む味は 格別である。 この味は山に登る人のみが知り得ることだ。 夕方になると来るべきものが来て、夕立になった。 満天の星 空、夏の美しい夜が曇ってガスも発生し、何も見えず、明日の早 出のために寝る事にした。 部屋に入れば詰込み状態で今年最高の人出、200人程が宿泊 しているとか、廊下にまで寝ている。 すごすご入り込みすぐに 寝込む。 |
(テラスにて) |
早朝4時頃仲間が起こしてくれた。夜のうちに荷物を纏めていた
為すぐに出発準備も出来、4時40分頃いよいよ今回の目標である 北穂高へ向かう。 しかし二人が体調が不良で、ここまで来て断 腸の思いであろうが、やむえず四名でアッタクする事にした。 いきなり50度くらいの急な登り、ゆっくり、ゆっくり登る、第一関門 の鎖と鉄梯子を伝わって南陵の背にでる。ここから急登となり気が 抜けない。ジグザグを何度か繰返し二度目の鎖を過ぎるとキャンプ サイドに出る。ここで少し腹ごしらえをする、空気もすがすがしく 景色もすばらしい。正面に木曾駒岳その奥に富士山が見える。 左に常念岳、蝶ガ岳、つばくろ岳などいつまでも見ているわけに もゆかず、再び出発。 岩の道、南陵を登りつめると直下の分岐に出る、目の前に北穂 が見える、コースを右にとり岩壁の下に入るようにして、岩の階段 をひと登りして、8時50分北穂高頂上に立つ。 思わずバンザイ 続いて仲間が二人上がってくる、思わず握手、ご苦労さん。 北穂、この一週間で一番よい天気に恵まれ、すばらしい、この 絶景を誰にも渡したくない。本当に登って良かったとつくづく思う 登った人のみ得るこの感動。語り尽くせない、360度丸見え、書け ば限がない。槍ケ岳、手に取るように目の前に堂々と立っている。 北穂から尾根がすうっと伸びている、美しいラインだ、去年は何も 見えなかったが今年は最高だ!!!! 3106m頂上での朝食、何とも言えない、頂上下の北穂小屋 のテラスで目の前の槍ケ岳を見ながらコーヒーでカンパイ。 ビールも欲しかったが下山の事が気になりやめる事にする。 時間も気になりだした、一人の仲間の姿が見えない、予定時間 30分もオーバーしている、下で待っている二人も気になる。何度 か下を見るけど見えず、やむなく下山を開始する。 |
(北穂高頂上 3,106m) |
20分後岩壁の下で合流、しかし頂上に行くのを断念してもらう、
せっかくここまで来たのに時間もない、何度も頂上を見上げていた けど、やむをえず下山してもらう事にした。 途中高山植物の花畑の所で少し余裕が出てきた。下りも岩場は 急で高さ、勾配が目に入るので、恐怖感がある。 きっちり、ゆっくり下って予定より遅れたがやっと滝谷岩壁群の 眺めに着き。下を見るとすり鉢状のカールがはっきり、感動しながら らヘリポートに目をやると、下で待っている二人が手を振っている。 11時20分無事に四名が合流し、涸沢小屋で早めの昼食を取る。 帰りはパノラマコースを変更して、石畳の道から横尾、梓川沿いに に下り、徳沢園に向かう。 途中森の中で雷鳥らしき鳥を見つけて 皆で覗きこみ、ワイワイガヤガヤそのうち茂みへ消える。 慶応尾根をバックに写真を撮る。数回立止まり、17時40分頃 徳沢園に着いた。手続きをし、9時までと言う風呂にゆき、二日間 の疲れを癒し、夕食に就く。 飛騨牛ステーキ、茶ソバ、イワナの 塩焼きなどにびっくり。ビールも、ご飯も満足まんぞく。 明日は帰るのみ、部屋は我々6人のみで気がねなく、ワイワイ がやがや、そのうちぐっすり寝る。 翌朝目が覚めるとやや寒い、すぐ朝焼の写真を撮りに外に出る が、すでに遅く残念な結果になる。 神戸から来た人が、山と空が 赤く染まってとても綺麗だったと、話してくれた。 本人も写すのを 忘れていたとか。 朝日が当たる明神岳、長七ノ頭をカメラに収め7時過ぎに全員 「氷壁」の宿を後にした。 穂高神社奥宮と明神池、嘉門次碑、 治山林道を一路河童橋へ、正面に奥穂高岳、岳沢そして右に前 明神岳、左に西穂高岳、思もわず全員集合してパチリと写す。 ウェストン碑から穂高橋の林間コースを通り、大正池。 いずれ は登るであろう焼山と池を背景に記念写真。 車のある沢渡へ、 ソバを食べて一路大阪へ車を走らせ、19時10分頃、全員元気に 志紀駅に着く。 この三日間ご苦労さん、後は我が家でみやげ話に弾むだろう。 (この文が出来る頃、来年の予定を立てているだろう、鬼さんも 笑いながら見ている) 以上 |
(来年はきっと登るぞ槍ヶ岳) |
sunpola sunpola sunpola sunpola Rewrite 2006/2 sunpola sunpola sunpola sunpola