はこねきゅうかいどう

箱根旧街道

       2024/5/21&22                                       (崎田・記)

 小田急箱根鉄道線・箱根湯本駅(徒)〜宿所//奥湯本BS〜畑宿BS(徒〜)
 ピーク・標高 805m (箱根湯本駅 96m、畑宿 390m)

 箱根湯本駅→役場→早雲寺→正眼寺→玉簾滝(宿所)→畑宿→甘酒茶屋→馬子唄碑→元箱根
 駅(30分)早雲寺(20)正眼寺(40)宿所//奥湯本入口BS畑宿BS 10:00着(110)甘酒茶屋(60)〜
 〜箱根馬子唄碑(30)芦ノ湖畔(30)元箱根・関所跡
14:00着/約8Km  (14:40発 R1号経由で湯本へ)

 

   

江戸時代の東海道は人馬往来や情報伝達で最も重要な路で、日本橋から京都・三条大橋までの
126里6町(約493Km)に宿場・五十三次が栄えたと云う。尾張・宮宿から桑名宿の間は7里の海路
だったとある。(別途陸路もあった)

幕府は1618年に旧来の湯本から湯坂山〜浅間山〜鷹ノ巣山〜芦ノ湯を経て元箱根に至る湯坂道
(鎌倉道)を廃止し、湯本の三枚橋から須雲川沿いに畑宿を経て、二子山の南側を通り、元箱根に
至る古い山路をひろげ”箱根の八里越え”と伝えられる街道を作った。
この街道は1635年参勤交代の制度ができて、一層交通が盛んとなる。1680年に幕府の手により、
はじめてこの街道に石が敷かれ、現在もところどころに残っている。(案内板抜粋)

箱根湯本に泊る機会があり、初日は湯本駅前の「あじさい橋」から宿所まで歩き、二日目はOBと
一緒に奥湯本バス停から畑宿までバスに乗り、石畳路もある旧道を箱根関所跡まで歩いた。
途中の甘酒茶屋は今も営業中、外人観光客やドライブ客で賑わっていた。石畳路や峠を越えて杉
並木を抜けると関所跡に至り、江戸時代の旅程を味わえた。残念乍ら曇天で富士山は隠れていた。

   参考地図 こちら



畑宿・一里塚の先に石畳路

 

<一日目は箱根湯本駅からR732沿いを歩く>

 

箱根湯本駅前(観光案内所で略地図をゲット) /rollover あじさい橋 (三枚橋の二つ上流)

早雲寺 (1521年北條早雲の遺命により、その子氏綱により建立)

R732沿いのレトロな大衆浴場

正眼寺(曽我堂)

玉簾の滝(ホテル天成園の裏手に連なる)

 

 

<二日目は畑宿までバスで移動>

畑宿の本陣跡BS・集落には今も寄木細工の工房がある

畑宿の本陣(名主の旧屋敷)は大正元年に焼失、小規模の庭園が残り、米国総領事ハリスが鑑賞したとある
下田から江戸に向う際、箱根関所で検査を受けるか否かで彼が激怒、ここの日本庭園を見て機嫌を直した由

畑宿から坂道を登り始める (江戸より23里とある)

苔むした石畳路 (巾は広く、谷側には排水路も設けた)

かしのきざか/橿木坂は七曲りにあり、これより猿滑り坂(BS)までは急坂

甘酒茶屋 (甘酒の他お餅などもあり、前がバス停、隣が駐車場)

長い石畳路入口 /rollover ピーク805〜権現坂へと続く

箱根馬子唄の碑 ”箱根八里は馬でも越すが...”

芦ノ湖畔に降りる

杉並木 /rollover 

ゴールの箱根関所跡 (1619年頃設置、入り鉄砲検査はなく、「出女」を厳しく改めたとある)

 

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