2004/10/16                    <天祐篇>

                                                  崎田信義

 午後一時過ぎ大きな岩屋を抜けて下山を始める。永田岳とネマチの緑の絨毯をまとった
ような絶景に魅かれ、カメラをザックから出そうかどうするかと迷った瞬間、屋久笹の茂っ
った径の縁から足を滑らせてしまった。2〜3メートル位落ちたか?右膝に異状な感じが残
った。捻挫した模様で同行の藤原さんの援助で応急処置、上田さんのストックを一本借り、
二本のストックで下山を続ける。

  

                 永田岳(1886m) / 宮之浦岳山頂より(2004/10/15)

          

 予定した新高塚小屋までは未だ2時間半位を残しているが、痛みで歩行は超低速、夕方
までには着きたいが困難な感じだ。寝場所を確保する目的で上田さんが先行した。アップ
ダウンが少しはあるが、荷物を捨てる訳にもゆかず亀並みのスピードで小屋に向かった。
 今朝タクシーで同行したSさんが早めに小屋に着き、当方のザックを担ぐ為に引き返し
てきた。お陰で肩が軽くなり夕闇が迫った6時頃に漸く小屋に辿り着いた。中は団体さん
も居て満員状態、Sさんは一階の自分の寝場所も譲ってくれた。
 携帯した救急の薬やシップ、テープ等を施しコンロを点けて遅い食事を摂った。団体に引
率したガイドが下山ルートのポイントや救助依頼先、ケータイ電話のかかる場所等など教え
てくれた。 痛みも加わり寝返りもままならず、16日の朝を迎えた。

 七時過ぎ最後の出発となるが、救助隊と連絡を取るには電話が通じる場所を探す必要が
あり、昨夜教えてもらった処に上田さんが登ったりしたが、なかなか通じない。 急な下りが
始まり、Sさんが再び迎えにきてザックを担いでくれた。 全く頭が下がる思いだ。
 何度目かのコールで名瀬警察署にauの携帯電話がつながり、救助を依頼した。 暫くして
地元の消防組合から電話が入り、高塚小屋まで降りて待機するようにとの指示をもらった。
亀なみの歩行で待機場所まで着きほっとする、一時間の行程を三時間強かかった。お世話
になったSさんと別れ、昼頃には救助隊が到着した。

 小屋から少し下った場所でヘリコプターを待ち、吊り上げる予定との事、天の助けと思え
た。上田、藤原さんは白谷雲水峡へ下る予定を変え、宮之浦の民宿を探す為に先に荒川
口へ向かった。枕崎からヘリが飛んできたとの無線が聞こえ、別の救助隊も加わりひと安
心した。  しかしガスが深くてヘリから場所が特定できないとの報せ、縄文杉の上の東屋
までストレッチャーに乗せて下ろしてもらう。 森が開けた所で再度待機、ヘリの音が聞こえ
発煙筒を掲げるが相手からはガスで見えないとの事、やむなくヘリを諦めて12名で私を背
負って下ることになった。

 背負子で背負い、大株歩道入口まで交替で下ろしてもらう。私はバランスが崩れないよ
うに負子の板を掴み、背負う人の前にもう一人が肩を貸す。 200メートルくらい下っては
交替、腰を悪くしないようにと声を掛けるのが精一杯で、涙がでる思いだった。
 屋久杉のある急峻な路を三時間余りかけて下ろしてもらった。トロッコ道には一人乗りの
簡易なトロッコがあり、暗くなった線路を約二時間、人力で引き漸く19時頃に荒川口に到着
した。 救急車で徳州会病院に運びレントゲン撮影、救急処置をしてもらい靭帯損傷(骨折
もあり得る)との診断で入院した。

 翌日 本来は予備日だったが、台風が近づき最終のトッピーが出港できない恐れも出た
ので、救急病院を一晩で退院し、宮之浦港から昼のトッピーで鹿児島に戻った。
 毎日新聞社の佐藤さん、屋久町並びに上屋久町消防組合の山岳救助隊の皆さんには絶
大なご支援を頂き本当に有り難とうございました。 
 楽しみを半減させ、身近で世話をして貰った上田、藤原さんに心より感謝申し上げる次第です。


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