くまのこどう・なかへち |
熊野古道・中辺路 |
2019/5/18〜19 10人パーティー(崎田・記)
JR新大阪駅→紀伊田辺駅(所要2時間半)、乗換:バス→滝尻バス停(約40分) | |
十丈王子 593m、上多和茶屋跡 688m、三越峠 548m、発心門王子 314m | |
一日目: バス停・滝尻王子→大門王子→最高地点→牛馬童子像→桜継王子(宿所) Σ7h10m、 17Km 二日目: 〜小広王子→湯川王子→三越峠→発心門王子→祓殿王子→熊野本宮大社 Σ8h20m、 21Km |
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宿 所 |
のなか山荘 (他にも民宿あり) |
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創建2050年余の熊野本宮大社 |
<一日目の古道> バス停傍の橋を渡ると滝尻王子で、東屋も設けられている。全員で安全祈願のお参りを済ませ 急な坂に取り付く。胎内くぐり岩や乳岩の大岩が続き、気持ちを引き締める。 坂をクリアーする と緩い尾根径になり、アップダウンや石畳の路が続く。 民家の側を通ったりカフェの案内板を 見たりして、高原熊野神社へ届く。 人々の祈りが届く、立派な社殿だった。(出発〜2時間) 大門王子を過し、十丈王子からは樹林帯に入る。この先4時間程は下山路もない長丁場との標 が立ち、再度気が締まる。 九十九折の坂や急な下りが続き、悪四郎山の入口へ届くが時間的 に登る余裕はなく、小判地蔵の石碑と標が目に留まる。 江戸時代末期に豊後(大分)からの旅人が、大切な小判一枚を口にくわえて行き倒れになった跡 とある。 熊野本宮へは届かず、後始末の費用を頼んだか、はたまた三途の川で善人向けの橋を 渡る為の路銀だったのか、旅人の思いが今に伝わる。 ほどなく本日の最高地点688mの上多和/ウワダワ/茶屋跡に着く。熊野詣でが盛んな頃には茶 店があり、大正時代にも人家があった所だそうだ。 二時間近く樹林帯を歩いたが、林道と交差 し人里との繋がりが見えてくる。 小さな流れを二度三度跨ぎ、いきなり舗装道路に飛び出した。 牛馬童子口バス停と国道311を挟んで道の駅もある。一気に日常の景色になり、大休憩となる。 その先800m程上がると、古道のシンボルとも云える牛馬童子像がある。小さな石碑で花山法皇 (AD968〜1008)の行幸を模したとも伝わる。近年この石碑は壊されたが再建された。夕闇せまる 中で集合写真に納まる。(出発〜6時間) 足が重くなった人は路線バスで宿所へと向った。 以前の中辺路町の中心部へと下り、更に4キロ強歩いて継桜王子が本日のゴールとなった。標高 500m余りの山腹まで宿から迎車してもらい、皆と合流した。 |
滝尻王子 by HS |
高原熊野神社 |
大門王子/rollover |
上多和茶屋跡 |
道の駅のモニュメント |
牛馬童子像 |
<二日目の古道> |
継桜王子/ツギザクラオウジ
時折小雨が降るがミスト状態で汗は無し、しかし周囲の山の緑がボケて観える。 中川王子、小広 王子を過すと山径になる。 九十九折れの急坂を登って、高度差200m余を下ると迂回路の標識が ある。 岩神峠付近は2011年台風12号被害で地すべりの危険がるとの事、約4Kmが迂回ルートだ。 今度は上り返し、山腹に沿った径を辿り、漸く杉林の元で休憩を取る。 500m毎の標もなく、何処 まで進んだのか不確かなまま進んで、蛇形地蔵と出会った所で本ルートに合流した。 小さな川を越えると土湯川集落跡の標識がある。室町時代に勢力を誇った湯川一族の発祥の地で 江戸時代まで多くの皇族や参詣者が行き交い、宿場として栄えたとある。 昭和31年に最後の住人 が離村して廃村となった由。 日本初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹(旧姓小川)の妻・スミは 湯川一族の末裔で、一族の間で今も祭祀が行われるそうだ。 詳細な記事→こちら 木立の中にやや広い場所があり、周囲は石積みの遺構や湯川王子がある。小さな流れの奥には墓 もあるようだ。 こんな奥まった所で、皇族や旅人をもてなし、諸国の情報や知恵を集め、林業などで 数百年も暮らしてきた人々が居た事に驚いた。 早めの昼食を済ませ10:20、再び九十九折れの急 坂へと進む。 平らな舗道に出合い休憩所と黒門が立つ三越/ミコシ/峠に届いた。関所ともあるが、 本宮大社が近づいた証だろう。 |
とがのき茶屋 |
蛇形地蔵 |
土湯川集落跡 & 標/rollover by HS |
湯川王子 |
三越峠関所 |
坂を下ると林道になり、やがて川沿いの舗道が始る。 くねくね路を長々と進むと、右下への径が 迂回せよとある。猪鼻王子へは不通になっていて、そのまま舗道を上がると発心門王子に着いた。 世界遺産の大きなモニュメント、近くにバス停もあるので外人や散歩がてらの人と出会う。 急に 観光地へ入った感もするが、残りは7キロもある。 水呑王子や伏拝王子の傍にはカフェもあり、民家も並ぶ。 やがて三軒茶屋跡に至り、高野山から 十津川村を経由する小辺路ルート(約72Km)と合流する。 その先樹林帯の中は石畳や木道もある。 そして祓殿王子が標識番号75で、熊野本宮大社の裏門に着いた。(14:50) 本殿に進み、更に上社へ参る。撮影は禁止され、四つの社が並ぶ。 厳かな気持ちになり、石段を 下って大鳥居の下で集合写真に納まる。 二日間で約40Kmを完踏、互いの健闘を称えた。 |
道の川集落跡(昭和48年に最後の8世帯も移転) |
発心門王子 |
伏拝王子 |
三軒茶屋跡で小辺路と交差・合流 |
祓殿王子/ハライドオウジ |
熊野本宮大社・上社の門 |
PS:世界遺産に登録され、評価も広まったか外人も多く見られ、本宮から温泉地迄 のバスでは片言の日本語と円貨がゆきかう。 日曜日で飲食店は休みが多く、 酒類の販売も少なかった。 聖域を守る為の自主規制なのか?と、気になった。 資料に依れば、熊野行幸は、AD907年の宇多法皇から始まり、370年間も続いた。 鳥羽上皇の21回、後白川上皇の33回、後鳥羽上皇の28回が飛びぬけている。 江戸時代には庶民まで広まり、伊勢参りと同様、生涯に一度は熊野へ詣でること が夢となる。(蟻の熊野詣で) |
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